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みんな誰かの愛しい人

きずな、つながり。
震災以降、こうした言葉を聞いたり、
見たりすることが多くなった。
私たちに何が起きたのだろう?

 
また地震の後、結婚相談サービスへの
会員登録が増えただの結婚にふみきった
カップルが増えたなんてニュースもあった。
婚活が盛況という文脈とはちがう話だ。
(反対に震災離婚も増えたという話も
あるようだけれど)
何がそうさせたのだろう。
 
きっと確信したのだ。
けっきょく、人はひとりで生きて
いくことなんてできない、誰かに
助けられ、誰かを助けながらでないと
生きていけないことを。

 
いくら世の中が便利で高機能化しても、
それが壊れれば、ひとりというのは
いかにもろく無力な存在なんだろうと
火を恐れるケモノのように
本能的に気づいたのだ。
 
おおげさにいえば文明というシールド
がなくなれば人間も動物のひとつであると
気づかされたのではないか。
 
かつて金八先生は黒板に「人」という字を書いて、
「いいですかぁ、人と言う字は人と人が
ささえあっている姿が文字に…」と解釈し、
人は人の間で人間として磨かれていくと
名言を残した。
 
また、子どものころご飯(白米)を少しでも
残すと、きまって親は「汗水たらしてお米を
作った農家の人に申し訳ないと思わないのか」
と言ったものだ。わたくしがすくすく育ったのは
どこかの農家の人のおかげだなんだ。
 
持ちつ持たれつ、小さなことから
大きなことまで、私たちはいつも誰かに
支えられている。たとえば東京に住んでいる
ものは、エネルギーや食べ物、製造業などで
東北にお世話になっている。

 
正直、震災がなければそのことに気づきも
しなかったし意識しなかったと思う。
東京で暮らすひとりとして恥ずかしく思う。
 
その東北はいまだにピンチである。報道では
原発のことの方が目立っているが、復興が着々と
進んでいるわけでもなく、いぜん苦難が
続いているという。
いったい僕たちは何をするべきか。多かれ少なかれ
そんなことを思っている方は多いと思う。
 
先日、山手線車内でみた中づり広告の
コピーはこんなメッセージだった。
いまボランティアに行けない人は
この夏、東北へ旅に行き、観光を楽しんで
ください。それもボランティアになるのですと。
 
JR東日本の広告である。モノは言いよう考えよう。
価値を示しかたしだいで、単なる言葉は
人を動かすメッセージへと変わる。
あなたの行動が、誰かの支えになる。
次のコピーもそうかな。
 
 
★今回のビックリマークなコピー
 
 
あなたが旅を楽しむことも、
きっと誰かの力になる。
 
 
JR東日本パスの広告より。
1万円でJR東日本全線が1日乗り放題
という切符らしい。
上越、長野新幹線も使えるから、
東北への旅のためだけというわけでは
ないが、基本スタンスは
東北への旅行や帰省などに使ってね
という、いわば復興応援の意味付けが
なされている。

 
もちろん震災によって大きく減収した
状況を挽回するためのアイデアでは
あるのだけれど。
 
1万円で乗り放題というなんとなくお得?
なメッセージだけでも、利用したいと
いう気はそこそこあるかもしれない。
でも見た人に働きかけるという点では
誰かの力になる、この部分に強さがある。
 
いま人々の心にある、東北復興の
手助けをしたいという気持ちが
購入の強い動機になるはず。
 
動機付け。またの名をモチベーション。
人が行動する上でもっとも大事な要素で、
コピーの場合でもそれは同じ。
広告で使われる場合は、選んでもらえる
理由や買う言いわけが示される。
 
さほど欲しいとは思わないものでも、動機付けを
示されればついつい…というのは誰にでもあるわけで
そういう人の心理や習性をうまく利用するのは
広告の表現ではよくあること。
 
東日本かどうかは忘れたけれど、JRはときおり
世の中の空気をうまく活かすという目端の
きいたメッセージを出してくることが多い。

 
たとえば、さまざまな商品がエコを叫んでいたとき、
移動や荷物を送る際は、クルマを使うよりも
排気ガスを出さない列車の方が環境にやさしいと
新幹線もエコであると訴求していたことがあった。
 
また、高速料金値下げの際は、渋滞でいやな
思いをするクルマでの移動より、時間通りで快適に
すごせる新幹線の方がいいでしょとしっかりと
アドバンテージを示していたことも。
 
このように状況をよくみてすかさず
アプローチを行い、有利な点を選ぶ理由として
挙げ比べてもらおうとしていたところは、
なかなか巧みである。機を観るに敏といっていい。
 
ところで、動機付けの表現やアプローチは
いろいろとあるが、絆やつながりといった
関係性に乗じた表現もそのひとつ。
少し前に見た人間ドックのバナー広告には
こう書かれてあった。
 
自分だけではありません。
大事な人のための「あなたのカラダ」です。
 
人はみな意志が強いわけではない、
というよりも弱い。自分のためだけでは
がんばれないことがある。
けれども、家族など大切な人のためだと
違ってくる。きっと思った以上に
モチベーションがアップするはず。
 
たとえばあなたが何かスポーツ選手だ
として、試合に好きな人が応援に来ている
場合とそうでない場合とでは、気合の
入りようが違うのではないか。
そうした他者との関わりを意識させることも
また人を動かす強いメッセージとなりえる
というもの。
 
人は本質的には孤独である。
生まれた時からその寂しさを知っている。
だから、恋をしたり仲間を求めるのだ。
と、昔観た情報番組の中で司会者が言っていた。

 
フランスのなんとかいう小説家の言葉らしい。
いかにもフランス人がいいそうなことだと
思ったものだが、たんに司会者が不倫を
正当化するための言いわけに使っただけで
あった。
 
それでもなんとなく腑に落ちるのは、
人がまだ類人猿だったころ、
最初に生まれた感情が「恐怖」だった
(らしい)からである。
自然や外敵の脅威から身を守るには、
危険を知る=恐れることが重要になってくる。

 
人は協力し合ないと生存できないことを
本能的に知っていたのだろう。だから群れを
作って生きてきたのだ。DNAがそうさせた。
人は社会的な動物なのだ。
 
介在するのが利他的精神であれ、
ある種の打算であれ、やはり人は誰かに
助けられ、誰かを助けて
いないと生きていけない。

 

だから意識的にせよ、無意識的にせよ
きっと人はその誰かを求め続けているの
ではないかと思う。
さびしいから死ぬのは、ウサギだけではない。
人もまた然りである。
 
そんなことを思っていたら、
「Everybody needs someboday to love」
という曲を思い出すした。
ソロモン・バークのヒットで知られる
ソウルクラシックで、ストーンズも
ブルースブラザースも唄っていた。

 
誰にだって愛する人が必要なんだ♪
人はひとりでは生きていけないことを
分かっていないと、このような曲は
生まれなかったんじゃないか。
 
紹介したJR東日本のコピーは、JRの駅の
スタンドにささってあったリーフレットに
載っていたものである。
実はそのすぐそばにも「誰か」という言葉が
使われたコピーの載ったリーフレットがあった。
内容は自殺予防、いのちの電話の案内で、
表面にはこんなコピーが。
 
誰かに話すことが、生きるチカラになります。
 
先日あった発表によると、今年5月の自殺者数は
前年比17.9%増、3281人で、前年同月に比べ499人増。
とくに大都市圏に多く、一番多い東京都で325人と
前年同月比70人増とのこと。
 
ある調査では、戦争や大災害、サッカーのW杯などの
スポーツイベントといったなにか国民全体がひとつに
まとまるような状況の時は、自殺者が減るという。
でも残念ながら、今回に関してはそうはならなかったようだ。
 
復興とか、みんなでひとつになろうという言う声が
日本中で高まっていた時期だったのに。
自ら命を絶つ理由は、人それぞれだろうから
ひとくくりにはできないが、
孤独や孤立によって絶望的な気持ちになって
死を選ぶことも多いときく。
 
人はつながっていないと辛くて
生きていけないのだ。
あるときは誰かを求め、あるときは求め
られる誰かになるということは
生き方の根本にかかわってくるのだろうな
と今回ほど強く感じたことはなかった。


★コピーライターが思わず ! となったコピー。-you'llnever
 
人に迷惑をかけてはいけませんと
誰もが言う。たしかに正論なのだが、
それでは辛い。
いいんじゃない、きつい時は少しくらい
迷惑をかけても。
 
震災から三カ月、3月11日以降、自分も含めて
私たちに何が起きたのだろうと考えてみた。
 
 
さて、ボランティアも東北旅行へもなかなか
行けない方にはこんな方法はどうだろう。

GoogleとYouTubeが、「日本営業中!」という
キャンペーンをやっている。

CMはこちら
 
★コピーライターが思わず ! となったコピー。-higashinihon

東日本ビジネス支援チャンネルはこちら
色々なお店や観光スポットからメッセージと紹介。

※音が出るのでご注意を。
 

手回しのいいやつが生き残るとか

地震直後から、テレビとネットにかなり
前のめりになっていたら、いつのまにか
平常心を保つことができなくなったので、
しばらく自分で情報統制をしていた。
 
ネットはともかくテレビは朝と夜にニュースを
観るていど。ワイドショー的な演出過多な
番組は観ないようにしていた。
その代わりにラジオはよく聴いていた
(ラジオ機ではなく、PCでradiko から)。

  
選んだ番組は主に音楽中心、あるいは
音楽だけが流れるプログラム(SKYFM など

ネットのラジオ番組、SKYFMはメニューが豊富)。

 

それで、あらためて気づいたのだがラジオと
いうのは他のメディアと比べて人の
温もりを感じさせてくれるようだ。
 
テレビと同じように不特定多数を対象とするが、
テレビがお茶の間のみなさーん!という感じの
アプローチが多いのに対して、ラジオはそこの
あなたへと意識したアプローチが多い気がする。
 
これはDJやパーソナリティが話しかたが
目の前の誰かに語りかけるような感じを
意識しているからではないかと思う。
横道にそれるが、広告のアプローチのポイントは、
たとえ不特定多数への呼びかけでも、
「これは私に対するメッセージだ」と思わせる
ことである。その意味では広告はラジオ的かな。
 
話を戻す。その他に温もりを感じた理由として、
距離感がある。テレビと比べてラジオの方が距離が近い。
これはラジオと聴き手の物理的な距離もある

(PCでを聴いていたのですぐとなりという感じ)。

 

それと、心理的な距離の近さ。

目の前にいる人に語りかけるように話されると、

声音や言葉づかいに気遣いのようなものを感じる。

ラジオDJは、自然にそのようにふるまうことが

できているのかもしれない。
 
特に震災直後は、話し方もかける音楽も癒しを

意識したものが多く、それだけに人の温もりや優しさを

強く感じたわけである。
ラジオはテレビよりも情報量が少ない、つまり音声のみ

なので、情報の圧迫感による負担も少なく、長時間

接していても疲れないことも優しさを感じた理由だろう。
 
速報やニュースは定期的に放送されるので、ある程度の
状況は把握できる。今回の僕のように最低限の情報収集は
必要だが情報疲れを避けたい時は、個人的にはラジオの
方がフィットしたというわけだ。
 
広告媒体としてのラジオはきびしい状況だ。
しかし、それはラジオ番組はラジオで
聴くという前提の話。
音声コンテンツという見方をすれば、面白さや楽しさは
映像にも負けていない。radikoやpodcastなどは

PCやスマートフォンで聴けるから、魅力的なプログラム

であれば支持されるのではないか。
 
またラジオディズ のような音声コンテンツ
専門のダウンロードサイトもいろいろある。
いいコンテンツがたくさん揃えば根強い人気が

期待できるし、個人的にはそうしたサービスが

たくさんあればいいなと思う。
 
その意味ではradikoが地震直後しばらくの間、
エリア開放していたのはよかったのだが、

またエリア制限したのは残念。
なんだか音声コンテンツは生き残るけれど、
ハードとしてのラジオは未来がないというような話になったが、
そんなことはなく、たのもしいラジオもあるのですよ。
 
 
★今回のビックリマークなコピー。
 
 
テレビもパソコンも、役に立たない時のソニー。
 
 
テレビやパソコンより役に立つっていったい…
と気になる表現が目にとまったものだが、これは
手回し充電ラジオの広告。

 
このラジオ、今回の大震災の影響でかなり売れて
いるようで、4月にヤマダ電機に行ったら、
売り切れ入荷待ちの張り紙が貼ってあった。
また、ソニーは支援物資として被災地にこのラジオを
3万台提供したという。
 
ただ、この広告は最近のものではなく、3、4年前の
「防災の日」に出されたものである。
「防災の日」、9月1日は関東大震災の起きた日である。
新聞では「防災の日」にちなんで広告特集が企画される
ことがあり、防災関連の商品広告が多く出される。
防災の日以外では、阪神淡路大震災の起きた1月17日にも
防災関連の商品広告をよく見かけた。
 
そうした時期には、人々の記憶が想起されるので
(リマインド効果といいます)、ふだんよりも
商品への需要が高くなると見込んでいるわけだ。
たぶんこの先、3月11日にも同じような状況を
見るのではと思う。
 
ところで、なぜ役に立たない時の充電ラジオと言わずに、
ソニーと言っているのか。考えられるのは指名買いを
狙ったということだろう。
充電ラジオは、ソニー以外のいくつかのメーカーでも
作られている。激しいかどうかは分からないが、

競合のある市場だ。
 
そうであれば、この場合はソニーという信用力を
前に出した訴求の方が効果的だと判断したのではないか。
価格が競合より高くても、聞いたことのないブランドや
他国製よりも信用力で選ばれるとふんだはず。
 
そう考えて、充電ラジオなら安心(品質や技術)の
ソニーブランドという印象を知覚させたほうが
有利ということで、ソニーと言ったのだと思う。

 
つまりブランド力を活かした表現ということ。
ただ、充電ラジオそのものがまだ知られていない、
市場が未成熟な状況だと、ブランドの力よりも

たとえば電気がなくても使えるなど最大の

特徴を活かした訴求方法のほうが有利に

なることがある。

 
ところで、防災商品というのは、宣伝のタイミングや
表現について、なかなか日用品を売るようには
いかないものである。
災害が起きた後しばらくは、欲望が顕在化するので

宣伝にそう力をいれる必要はない。

 

力を入れてもいいのだろうが、今回のように

未曾有な事態のときには不謹慎な!なんて

声が充満しやりにくいものだ。
 
そう考えると、欲望が顕在化している時期はいいとして、
いかに潜在化している状況で印象づけるか、認知して
もらうかがカギである。いざという時に思い出して
もらうのが大切になる。

 
潜在時期の宣伝は危機感が薄いのでスルー

されることもあるし、そんな時期に頻繁に宣伝する

ほど予算も手間もかけられないというのが普通だろう。
 
それに防災商品というのは、起こるかどうか分からない
安全対策なので何事もない日々が続いていると、
優先順位が上がらずあまり欲しいと思わないものである。

 
当事者意識を持ちやすい切迫した状況にならないと人は
行動しないものだ。
だから、防災の日など関心が高まるタイミングに
広告を出しましょうと新聞社が企画するのである。
 
防災商品というのは、アウトドアという切り口から
訴求できるのでやり方しだいでは上手い宣伝方法も
あると思うし、今回の場合、現状ではまだ地震の記憶が
生々しいので、当分はやりやすい状況ではあると思う。
(通販サイトには防災商品の特集コーナーも
数多くあるようだし)
 
また充電ラジオなど電気が使えない場合の
リスク対策商品は、これからの電気事情を考えると
ある一定の高さで需要が顕在化するように思えるので
状況としては追い風だ。

 
それだけに、商機ということで競合商品も

いろいろと出てくるし、あの手この手で宣伝

してくると思うので、競争が激しくなるぶん

選んでもらえるような対策は考える必要がある。

 
特にソニーのようなパワーブランドではもなく、予算も
あまりかけられないところは、価格設定もそうだが、
コピーなど表現にもけっこう頭を使わざるを得ないだろう。
 
さて、このラジオのように手回しで充電する
ものもあれば、手書きの新聞を出し続けた話もある。
宮城県の新聞社、石巻日日新聞が作った壁新聞。
地震のために輪転機が破損したため通常どおりに
新聞を発行することができない。そこで復旧するまで
手書きの壁新聞を作って避難所に貼りだした。


★コピーライターが思わず ! となったコピー。-ishimaki
 
そのプロフェショナルな仕事ぶりがネットなどで
紹介されたため話題になり、とうとうワシントンDCに
あるニュースに関する博物館がこの壁新聞の実物を
展示することになった。
 
ただこの記事 によれば、周りは感動ストーリーとして
称賛してはいるが、当事者の石巻日日新聞社は、
地元のために当たり前のことをやっただけと

美談あつかいになったことについて戸惑っているという。
 

美談に感じるのは、それだけ大手メディアが初心を
忘れているのか、それともわれわれがメディアを
信用していないかということなのか。
 
ソニーの広告風にいえば、
印刷も配達もできない時の石巻日日新聞。
というような感じ何なんだろうが、
手回しといい、手書きといい、いざという時は
ネットがつながらないとか、電気が使えない
と泣きごとを言うひまがあったら、頭と体を
使って打開せよという教訓を感じたのであった…

 
というのはちょっとおおげさだが、
便利になれ過ぎて、問題解決能力というか
サバイバル能力が衰えていくのではと
ちと不安になったしだいである。
 

ふかいことをゆかいに、ゆかいなことをまじめに

あわただしかった父の通夜、葬儀が
なんとか無事に終わった後のこと。
父の寝室でぼんやりしていたら、
サイドテーブルに何冊かの本が
あるのが見えた。
そのなかに映画「男はつらいよ」に
関する本が2冊あった。
 
そのうちの1冊、研究書のような内容の
ものは僕がむかし贈ったものである。
父はこの映画、いわゆる寅さんシリーズが
とても好きで、新作が上映されるのを
楽しみにしていたので観賞ガイドに
ぴったりだと思ったのだ。
 
おや、なつかしいと本を手にとり
パラパラとページをめくると、
ところどころに、前売り券の半券が
挟まっている。本当に好きだったのだなと
思って、さらにページをめくると雑誌の記事を
切り取ったものが挟まっていた。
 
その記事は、寅さんを演じた故渥美清さんに
関するものだった。
おそらく渥美さんが亡くなってそう時間が経って
いない時期の記事のようで、人となりや生前の
エピソードなどが4ページにまとめられていた。
 
記事を読んでハッとした。
なぜ父があの映画をあんなに好きだったのか
分かった気がしたのである。
詳しくは言わないが、父と渥美さん、そして
寅さんとの間にはいくつか共通する点があった
ことがわかったのだ。
 
それらはたぶん当人たちにとって生き方や
人生観にも大きく影響したのではと思わせる
ことだった。
察するに父は寅さん、そしてその役を演じた
渥美さんに自分を重ねていたのだろう。
 
同じような体験をしたものしか分からない同士、
何か分かち合いたかったかもしれない。
また、過去や現在を投影しながら、自分の代わりに
願望を体現してくれる‘もしかするとありえた
もう一つの世界’を愉しんでいたのかもしれない。
 
もちろん、それは僕の推測である。かりに生前に
なぜ好きなのかを尋ねたとしても父の性分を考えると
はっきりと答えなかったと思う。
けれどもそう考えるとなぜあんなに「男はつらいよ」が
好きだったのか納得がいく。
 
「男はつらいよ」シリーズ全48作。全部は
観ていないが、初期、中期中心に半分くらいは
観ている。そう詳しいわけではないが、
いろいろと見どころの多い映画で、
寅さんの名言・迷言もそのひとつ。下品なものから
人生の真理といえるものまでたくさんあるが、
その中の恋愛に関するものから…
 
 
★今回のビックリマークな台詞
 
 
いい女だな、と思う。その次には話をしたいな、と思う。
その次にはもうちょっと長くそばにいたいな、と思う。
そのうち、なんかこう気分が柔らかくなってさ、
この人を幸せにしたいな、と思う。
もう、この人のためなら死んじゃってもいい、命なんか
いらないと思う。それが愛ってもんじゃないのかい?
 
 
男はつらいよ 葛飾立志編」での寅さん(寅次郎)の
台詞。男女の愛は難しいという大学教授に対して、
寅が簡単だよとこの台詞を言う。

 
ああ分かる分かる、その感じと共感してしまう。

意外に言葉で表すのが難しいことをよくこんなに
詩のように言ってくれたなと感心する。
 
分かりやすい。それだけでなく共感できるところがいい。
まぁ愛というより、恋する心のプロセスといった方が
正確ではあるが。(広告に接した場合の行動の

変容モデルAIDMAのようなイメージ)
 
「男はつらいよ」シリーズは、毎回寅が失恋する
という基本パターンが貫かれている。
DVDの発売時の広告などには、「失恋48連発」なんて
コピーが添えられていたくらい。
そういうと、毎回寅がふられるようなイメージがあるが、
寅がふる(自分から身を引く)パターンもある。
とはいっても、いつも寅の恋は成就しないのである。
 
それでも寅は恋や愛に生き、名言や至言を生むのだ。
11作「寅次郎忘れな草」のポスターのコピーでも

 
ほら、逢っている時は何とも思わねえけど
別れた後で妙に思い出すひとがいますね
…そういう女でしたよ。あれは

 

これもまた愛に関する名言だと思う。


★コピーライターが思わず ! となったコピー。-torasan

 
寅は恋愛の真理や心理については、そのへんの男よりも
よく分かっている。ただ机上では恋愛の達人なのであるが、
実践についてはからっきしである。
観客はそういったタテマエとホンネの間で繰り広げられる行動
や言動に一喜一憂し、じれったさや哀しさ、切なさを感じ
ながら物語を楽しむのだ。
 
ところで寅は教養がないが、物事の本質のわかる男である。
(そしてひとの気持ちがよく分かる男でもある。
分かりすぎて失恋しているように思えるが)
さらに、ややこしいことを咀嚼して、誰でも分かるような
表現で伝えるのがうまい。(知識不足による誤解や
ついていけない比ゆによるメチャクチャな台詞も
けっこうある)
 
だから、上の台詞などを聞くたびに、うまいこと言う
とか、いいとこに気づくものだなぁと感心する。
詳細は理解できていなくても、本質、あるいは文脈を
察知して表現できる寅はとても賢いのだと思う。
 
作家井上ひさしさんは
むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく   
ふかいことをゆかいに、ゆかいなことをまじめに書く

を座右の銘にしていたが、寅の科白はまさにいい手本だ。
 
さきほどから、寅、寅と書いてはいるが、
実際に台詞を考えているのは、脚本を書いた
山田洋次さんや朝間義隆さんである。

 
特に山田洋次さんは監督という印象の方が
強いがほとんどの監督作は脚本もてがけており、
「男はつらいよ」シリーズでも、寅以外の
登場人物たちのセリフにもハッとさせるものが多い。
山田監督のものごとの真理を見据える観察眼やそれを
表現する言語感覚はすばらしいというしかない。
 
浪花節的なキャラクターによる古臭い人情喜劇
というイメージがあるかもしれない「男はつらいよ」
だが、今回父を偲ぼうといくつか観た。
たしかにそういう映画だ。
でもそれは表面的なもので、本質は
人間賛歌の映画であることを改めて感じた。
 
おりしも大震災によって日本中が大きく傷ついた
時期でもあり、いつもより深く沁みたし、
観た後にいろいろなことを考えさせられた。
 
阪神大震災後、避難所である団体が映画上映の
ボランティアをしたところ子どもには
「となりのトトロ」が、大人には「男はつらいよ」が
圧倒的に喜ばれたという。
なんとなく分かる話である。
この映画から伝わるやさしい温もりが、

心のひびをふさいでくれたのだろう。
 
そんなに言うならちょっと試しに観てみようかと
思ったらシリーズの中でも人気作を観るといい。
よくできたストーリーの17作「寅次郎夕焼け小焼け
浅丘ルリ子さん扮するリリーとのラブストーリー3部作
15作「寅次郎相合傘」11作「寅次郎忘れな草
寅次郎ハイビスカスの花」は切ない。
 
特に15作「寅次郎相合傘」で寅がリリーがステージで
唄う姿を想像して語るシーンは名場面だ。
まるで言葉で絵を描くかのような台詞、ファンの間では
寅のアリアというらしい。
 
あとは個人的には大原麗子さん、いしだあゆみさん、
竹下景子さんがマドンナ役をつとめた作品もよかった。
当時の人気女優が起用されることこともあり、
マドンナ役ばかり注目されるが「男はつらいよ」
の真のマドンナは寅の妹のさくら、倍賞千恵子さんだ。
それが分かるようなると、ツウになるらしい。
 
父はシリーズの中でどれが
お気に入りだったのか、
それが聞けないのが少々ざんねんである。
 

ちなみに僕が好きな寅の科白は
俺とおまえは別の人間だ、早え話が俺が芋食えば
てめえの尻からプッと屁がでるか?どうだ

…もう言ってることがメチャクチャ。


 
 17作「寅次郎夕焼け小焼け」と

15作「寅次郎相合傘」は傑作。観て損はしないです。

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地震は宮沢賢治に何を書かせたのだろう

それは小さなニュースだけれど、
見出しが目にとびこんきた。
 
銀河鉄道の夜再び 釜石線17日ぶり復活(日刊スポーツ3/29)
“銀河鉄道”が、岩手の夜に戻ってきた。
県内の花巻から釜石を結ぶJR釜石線は
28日、東日本大震災以来、17日ぶりに
花巻-遠野間で運転を再開。
(記事より)
 
夜間に走る釜石線は、宇宙旅行をする
銀河鉄道を想像させる。
(記事より)
ああ、乗ってみたいねぇ。事態が落ち着いたら
ぜひ訪ねたいよ。
 
この釜石線というのは、宮沢賢治の
「銀河鉄道の夜」のモデルになった路線だという。
そうか、宮沢賢治は岩手県花巻の出身だった。
 
僕はこの童話が好きで、何度も読んでいる。
登場人物をネコにした、ますむらひろし作の
マンガ版、それをアニメ化した「銀河鉄道の夜」
も好きである。
$★コピーライターが思わず ! となったコピー。-ginga
 
複雑なストーリーではないが、読むたびに
様々な感じ方ができたり、違った発見がある。
童話ではあるが、SFのような哲学のような
なかなか捉えにくい、奥の深い内容だと思う。
 
それなのに惹かれてしまうのは、どこか切ない
話とは対照的な銀河空間の旅のファンタジックな
描写のせいである。
不思議な世界へ引き込む磁力があるため、
おかしな言い方をすれば、トリップして
しまうのである。
 
ところで、この話の中で何度か
本当の幸せって何だろうと問いかける
箇所が出てくる。
登場人物のジョバンニやカムパネルラ、
乗客がそんなことを言うのである。
 
彼らは特別何か不幸な状況に置かれている
わけではないこともあって、妙に想像力を
かきたてられる。
なかでも最も印象的な科白はというと…
 
 
★今回のビックリマークな言葉コピー
 
 
僕はもうあのさそりのようにほんとうに
みんなの幸(さいわい)のためならば
僕のからだなんか百ぺん灼(や)いてもかまわない。

 
 
主人公のジョバンニが親友カムパネルラにそう言う。
銀河の旅の終わりがけの場面に出てくる、強烈な表現だ。
実はこの言葉、昔、文庫のCMで宮沢りえさんが朗読する
のだが、「銀河鉄道の夜」を読んでいたにも関わらず、
それまでこの一節には全く気づかなかった。というか
忘れていた。
CMから流れてきたおかげで関心を持ったのだ。
 

 
ここに出てくるサソリは、話の中のある
エピソードのサソリのこと。旅の途中でジョバンニたちは
赤く光る火に出くわす。それはサソリが死んで
燃えている火だという。
 
なぜサソリは燃えたのか。生前、サソリは小さな虫を殺して
食べて生きていた。ある時、イタチに食べられそうになる。
サソリは逃げる途中、井戸に落ちておぼれてしまった。
いたちは井戸の中でこう後悔する。
 
「ああ、わたしはいままでいくつのものの命を
とったかわからない、そしてその私がこんどいたちに
とられようとしたときはあんなに一生けん命にげた。
それでもとうとうこんなになってしまった。
ああなんにもあてにならない。
どうしてわたしはわたしのからだをだまっていたちに
呉(く)れてやらなかったろう。
そしたらいたちも一日生きのびたろうに。
どうか神さま。私の心をごらん下さい。
こんなにむなしく命をすてずどうかこの次には
まことのみんなの幸のために
私のからだをおつかい下さい。」

(原文引用)
 
そう言うと、サソリの体は燃えだし
いまでも続いているという内容。
 
さて、自分を百ぺん灼いてもかまわないという、
ジョバンニの自己犠牲を思わせる言葉に
カムパネルラはこう返す。
 
「うん。僕だってそうだ。」カムパネルラの眼には
きれいな涙がうかんでいました。
「けれどもほんとうのさいわいは一体何だろう。」
ジョバンニが云いました。
「僕わからない。」カムパネルラがぼんやり云いました。
「僕たちしっかりやろうねえ。」ジョバンニが胸いっぱい
新らしい力が湧くようにふうと息をしながら云いました。

(原文引用)
 
いまこのタイミングで読むと、おのずと
今回の地震でわが身を投げうつように
親兄弟や友人、隣人、あるいは被災者を
救おうとした人々のことを思ってしまう。
 
そうした気持ちを傍らに置きながら
でいいと思うのだが、この機会に
本当の幸せとはいったい何だろうねと
考えることがいま必要なのではと強く思う。
 
すでに多くの人が言うように、
3月11日以前と以降では、多くのことが変わる。
社会制度も暮らしも経済も政治もね。
もちろん価値感や心のありようだって。
 
なかでも幸福感はまるっきり
変わるんじゃないかな。
後々の話、あの日を境に人生や仕事の
価値感が大きく変わったなんて人は
多く出るのではないだろうか。
 
そもそも「幸福」というのは定義しにくいもの。
衣食住に困らないという分かりやすい、
最大公約数的な意味はあるにせよ、その中味は
人それぞれだし、環境や年齢によっても変わる。
また、主観と客観では捉え方が大きく違ってくる。
それに相対的だ。絶対的な幸福というのは
定義するのは難しい。
 
それでもちょっと前までは、トルストイが
すべての幸福な家庭は、互いに似かよっているが、
不幸な家庭はどれもが、それぞれの流儀で不幸である

と「アンナカレニーナ」の中で書いたように
幸福のプロトタイプはあったと思う。
(昭和の広告やCMを見るとそれがよく分かる)
 
けれども、今回のことによって
信じられる確かものと、もはや信じられなく
なったものリストが大きく変わったのでは
ないだろうか。それにともない
これからは幸福のイメージも、またそれぞれの
流儀によって違ったものになるのではと思う。
 
この先、自分や国の未来がどうなるのか
明るいのかそうでないのかは見当がつかない。
それでも、自分にとって、コミュニティにとって
日本にとって、本当の幸いとは?を考えなくては
いけないように感じる。
つまるところ、傍観者ではいられなくなる
ということ。どうだろう?
 
(冒頭の新聞記事より再び)
賢治が生まれた1896年(明29)には、明治三陸地震と
陸羽地震が発生。岩手県と秋田県に多くの被害をもたらした。
亡くなった1933年(昭8)にも、三陸沖地震が起きた。
賢治は裕福な家庭に生まれながらも、地震被害にあった
貧しい人たちの悲惨な姿を見て育った。天候や気候に気を配り、
農業指導に力を注いだのは、地震の体験によるものだとされる。

 
この記事から察すると、賢治は本当の幸福とは何かを
真摯に問いつづけながら童話を書いたのであろう。
しかし「銀河鉄道の夜」でもその答えを見つけることが
できなかった。
 
それゆえに、この作品が永遠の未完成と言われる
のも分かる。それなのに多くの人々に好かれるのは
「銀河鉄道999」の影響ではなく、
やはり幸せとは何かを考えることの大切さを
読んだものが感じることができるからではないかな。
 
ともかく確かなのは、
すべてが変わるだろう、3.11以降の
世界の中で生きていかなくては
いけないということ。
 
ジョバンニの言葉を借りるなら、
僕たちしっかりやろうねえ。」って
気持ちを持って歩くしかないようだ。
 
 
■アニメ「銀河鉄道の夜」
予告編

 
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■銀河鉄道の夜(新潮文庫・青空文庫)
「銀河鉄道の夜」はいくつかバージョンがあるが、
新潮文庫の「新編 銀河鉄道の夜」が、底本なので最終形だと思う。
すぐ読みたい人はこちらから
 
新編銀河鉄道の夜 (新潮文庫)/宮沢 賢治

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アニメの原作。
最終形と初期型「ブルカニロ博士編」を収録。
 
銀河鉄道の夜 (扶桑社文庫)/ますむら ひろし

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■朗読「銀河鉄道の夜」
それと、おススメしたいのが
朗読「銀河鉄道の夜(全編)」(無料)
Podcastsで聴くことができる。(全19ファイル)
 
iTunesで「銀河鉄道の夜」で検索してダウンロード。
静かなピアノをBGMに、女性が朗読する。
 
「銀河鉄道の夜」はわくわくする楽しい話ではない。
どちらかというと悲しい話である。それなのに
夜、しんとした中でこの朗読を聴いていると、
心も呼吸も穏やかになってくるのだから不思議。

しっかりとしながらも、温かみのある声と
ファンタジックな描写によるものなのだろう。
一度に聴こうとすれば、2時間以上かかるので
毎晩少しづつ聴くといい。

冷静にふるまうための3つのルール

ここ2,3日、被災者以外の人々の
心の荒み具合が気になっている。
 
地震直後からテレビやネット、ツイッターで
情報収集していた。特に最初の二日間、
ツイッターでの情報提供や呼びかけは
それはもう見事な連携であった。
心底すごいと感動した。
 
ところが、3日目あたりからツイッター上で
発信者に対して、そしったり、あげあしを
とるような発言が目立ってきた。
売り言葉に買い言葉、そしられた方も
やりかえすから、言葉もきつくなってくる。
普段なら気にならない物言いでも
突っかかってしまう。
 
せっかくいい情報を提供してくれた方が
途方にくれたり、傷ついているのを見た。
双方とも悪気はないどころか、良かれと
思って言っているのは分かる。
 
無理もない、メディアを通じて
いろいろな情報が次々と入ってくるのだ。
悲痛なこと、元気が出るような話が
ランダムに飛び込んでくる。

 

情報を受け止める方は、いっぺんに
喜怒哀楽が大きなふり幅でゆらぎ
感情のコントロールが難しくなってくる。
その結果、過剰反応や感情の高ぶりが起きて
冷静に考えることができない。
だから、目につくものに八つ当たりしてしまう。
 
僕もあやうくそうなりかけた。ただでさえ
気が小さいのに、ものすごい量の他者の感情を
まともに受け止めてしまい、「何かしないと!」
「何ができるか!」と気が早ってしまい、落ち着かず
浮足立ってしまっている自分に気づいたのだ。
 
これはまずいと思って、いったんテレビや
ネットから離れた。気持ちをクールダウンさせ
平常心にもどろうと努めた。
昔、世界チャンピオンになった日本人ボクサーの
言葉を思い出す。
「カッとなりそうになったらまず深呼吸を3回して
心を落ち着かせます」
 
マーク・トウェインだって「頭に来た時は百まで数えよ」
と言っていたではないか。
だから深呼吸して気持ちを整え、必要な情報だけを
取ることにした。
当分、混沌とした状況は続く。そこで自分が冷静で
いられるよういくつかルールをきめることにした。
 
一つめ、平常心を保つこと。
感情の揺れが激しいと思考も言動も感情任せに
なってしまい、自分や他者を傷つけてしまう。
平常心を保つためにテレビやネットで前のめりに
なって情報収集しない。感情がバランスを
欠きそうになったら情報を遮断する。いざと
いうときに冷静に行動できるようにしておく。
 
2つめは 寛容になること。
内田樹さんのブログ<未曾有の災害の時に >を
参考にさせてもらった。いまは誰も責めずそしらない。

たしかに政府や東京電力、メディアの対応をみると

腹立たしくなることがある。
しかし、いま十分でないにせよ、それぞれが最善を

尽くしている。
 
マスゴミ呼ばわりされているテレビだって、
CMを流さず広告費収入をすっ飛ばして報道に努めている。
至らなかったことは後で検証してただせばいい。

いま文句や不満を堂々と叫んでいいのは、

被災地の人たちだけ。
 
ツイッターでも他者の発言にかみつかない。
不謹慎だ、自粛だと突っかかっている人もいるが、
思いは同じのはず。立ち向かう先は
他人のツイートではない。寒さや飢えに怯えながら
助けを求める被災者のことを想像しよう。
相手にするべきは彼らが直面している困難である。
 
また、感情に言葉をのせない。感情が高ぶって
いるからといって八つ当たりしない。
 
たしかに東京で買い占めに走る人たちには

呆れる。恥を知れと言ってやりたい。
しかし、官房長官やツイッター上でも

いろんな方々が「ストップ、買い占め」を

呼びかけている。事態の収拾を期待したい。
 

それに彼らとて普通の人々である。
買い占める人を引きずり出して吊るし上げても
気分が悪いだけだ。

 

買い占めた人の中には、いまごろ冷静になって

悔やんでいたり、自分を責めている人もいるだろう。

いま彼らを追いつめてなんになる?
 
3つ目は、いまとこれから自分が何をすべきか考える。
東京にいる身としては、いまは節電に努めること、
義援金に協力する、役立つ情報があればツイートする
ことくらいしか貢献できない。
あとは、普段通り仕事をして過ごす。
 
被災地の復興には時間がかかるし、次々と新しい
克服すべき課題が出てくる。そういう状況に
対して、この先自分が寄与できることを探る。
そのためのアイデアを考えたり、力を蓄えておく。
無理せずに自分ができることをやる。
 
以上の3点をこの状況における自分の行動指針としたい。
さらに色々な情報が飛び交って何を信じればいいか
分からないこともあるが、自分の直観にしたがうことにする。
 
それぞれ置かれている状況によって変わると
思うけれど、できればこの状況下での
自分のルールを決めた方がいいと思うよ。

最後に藤原新也さんの言葉(ShinyaTalk3/15 )を
お借りて、自分ががなすべきことの基本姿勢を伝えたい。

 
被災地の映像に向かって手を合わせるのもいい。
ツイッター上で祈りの言葉をつぶやくのもいい。
普段より節電を心がけるというのもいい。
コンビニに商品が入荷したら後の人のことを考えて
商品をなるべく残して行くのもいいだろう。
現地に赴いて木切れひとつも片付けるのもいい。
募金箱にコインを入れるのもいい。
献血をしたいと言った人がいたがそれもいいだろう。
 
そういったささやかな行為がこのあまりにも
甚大な絶望状況を救うとは言えない。

 

だが過剰なレスキューファンタシーに陥ることなく、
そして無力な自分を責めることなく、
ひとりひとりが冷静に身の丈に合った何かを
「する」ことこそが大事
なのである。
 

 
次回からはいつもの感じに戻ります(予定)。


★コピーライターが思わず ! となったコピー。-torasan02





そんな脅しで言いなりになるとでも?

日本はもうダメ、崩壊している、危機的状況だ、
お先真っ暗…振り返ると、たぶん90年代半ば
あたりから、僕たちは「日本ダメ論」を刷り込まれ
きているが、うんざりすることに

それはいまだに続いている。
 
刷り込みの張本人は誰かというと、大半は
マスメディアである。
あんた、そんなネガティブなことばかり言い続けて、
自分たちでイヤにならないの?と思いもするが、
危機感や不安を煽らないと、視聴率も上がらないし
雑誌や新聞も売れないのだろう。
 
もっともメディアだってこの先、影響力も収益も
どんどん小さくなっていくようだが、そこのところは
見て見ぬふり。関心があるのはよその家だけ。
自分の家が燃えているにもかかわらず、他の家の
火事のことばかりを叫んでいる。まるでギャグである。
 
たまに日本は素晴らしいと絶賛するが、

それはスポーツや芸術で優勝や受賞といった結果が

出た時くらい。結局、日本っていいねと言っているのは
外国の人ばかり。
 
とにかく20年近く、僕たちは大げさな
「日本ダメ論」にいつも不安にさらされ、
いつのまにか自信を失ってきた。
今の若者は、夢がない、元気がない、低リスク、
超安定を望んでばかりと大人は非難するけれど、
彼らは小さなころから「日本はダメな国」という
空気が蔓延していた時代に、多感な時期をすごして
きたのだ。ノーフューチャーなのにどうして夢が持てる?
 
「オマエはダメな子だ」と言われて
育てられた子どもが大人になったからといって
急に自信や勇気が持てるはずもなく、
そりゃあ、安定志向になるだろうよ。

 
そうさせてきたメディアも含めて大人は
どのくらいそのことを自覚しているのかな。
 
希望を示すのが大人の努めでもあるのに、
大人たちさえも自らがまいた、「日本ダメ論」に
からめとられてしまっている。そんな感がする。
そう、きっと「日本ダメ論」キャンペーンは
効きすぎたのだ。
 
本来なら、それによって打開なり、問題解決へと
向かうことを期待したのだろうが、勇気より
不安や怯えの方が上回ってしまって、すっかり
気持ちを委縮させてしまったのではないか。
 
そして蔓延したのは、あきらめと後ろ向きの

マインドセット。そうならば、なんと罪なことを

してくれたものだ。
人を不安に陥れて、行動をうながすようなマネは
広告だけでたくさんだというのに。
 
 
★今回のビックリマークなコピー。
 
 
待つ時間は長い。
それが不安な時間なら、なおさらだ。
 
 
ソニー損保の自動車保険の広告より。
訴求の中心になっているのは、スピーディーな
事故対応。迅速に対応することで、不安にさせない
=安心してもらうというのが一番伝えたいこと。
 
こうした商品がないために被る不便や

不安をクローズアップするというのは

広告表現のセオリーだ。

 
その場合、困った状況、あるいはその時の気持ちを、
ユーザーのダイアローグ(一人称)、あるいは
第三者(三人称)で語ることが多い。
 
またイメージしやすいよう、あるいは注目させる
ためにビジュアルでそれを補完することも多い。
それも、思い切りデフォルメして。
 
このコピーは、第三者視点で困った状況

を表している。
第三者視点といっても、ユーザーの立場に

たった表現である。

 
くわえて、時間を待つのが長く感じられることを
不安な時間ならなおさらだと、さらに強調して
不安感のイメージを増強している。いいさじ加減だ。
うん、神は細部に宿るのだ。
 
ところで不安のイメージを最大化して恐怖に
高めるといったアプローチは、それなりに効果が
ある。心理学のテストでも証明されている。
そりゃそうだよね。不安をあおられて、これが
あればOKと商品を出されると欲しいと思うわな。
 
しかし、あまり恐怖を強調すると購買意欲は
マイナスになることがあるという。
恐怖度の高い広告と低い広告を見てもらって、
購買意欲の持続性を実験したところ、恐怖度の
高い広告の場合、見た直後は意欲は高まるが
時間がたつとすぐに消えてしまったという。
 
その理由は、あまり怖いとそれが苦痛になって
早く忘れたいという気持ちが働くためらしい。
反対に恐怖度の低い方が記憶の持続は
長かったとのこと。
 
つまり、恐怖で煽るのは効果的ではあるが、
イメージの増幅レベルのさじ加減が大切だ
ということだね。
 
たとえばこのハンドジェルの広告。
つり革や公衆電話に触るのが怖くなりそう、
ショッキングな除菌ジェルの広告


★コピーライターが思わず ! となったコピー。-doornob


★コピーライターが思わず ! となったコピー。-phonebooth
 

思い切り恐怖のアプローチである。なんだか怖いよ。
ホラー映画のポスターのようでやりすぎ。
恐怖の方が強すぎて、ハンドジェルが欲しい
というよりも、もう外では何も手に触れ
たくないという気になってしまう。
そんな別の問題を起こしそうだ。
さすが、えぐいホラー映画の多いタイである。
 

恐怖や不安はマイルドに。
こちらはイケアの広告。
イケアのイカす「気持ちが分かる」広告


★コピーライターが思わず ! となったコピー。-ikea01
 


★コピーライターが思わず ! となったコピー。-ikea02
  

自分で組み立てるのも大変だね!という

困った状況を面白おかしく表している。
それもわざわざ家具でSHIT(くそっ!)とか

oops(やっちまった!)文字まで作って、

ユーザーの気持ちを表現している。

(Fuckだったら、イケアのイメージもガタ落ちかも)

 
このアプローチも、こうなると大変(商品が

ないことで被るデメリット)だから、

心配な人は組み立てサービスもあるよ

と言いたいのである。

 
恐怖とまではいかないが、不安をユニークに

デフォルメ、この程度の方が共感しやすく、ちょうど
いい按配なのかもしれない。

 

ビビらせる時は、笑顔で脅す。そんなやさしさ?と

注意深さが必要なんだ。

ヒラメキは光を受けて、キラメキとなる

一方を聞いて沙汰するな。
ものごとを判断するときは、
ひとつの意見や考えだけでなく、
異なる意見にも耳を傾けよ
ということ。
沙汰というのは物事の是非を論じ
定めるという意味。
大河ドラマ「篤姫」でよく使われていた。
 
まだ薩摩分家の姫であった篤姫は、
母親にこの言葉を教えてもらう。
以降、これは篤姫の行動指針の
ひとつとなる。
 
大奥に入っても、自分の周りの意見
だけで決めることなく、意見が異なる者や
対立する相手など両方の話を聞いて
判断したり、納得するシーンが何度が
出てくるが、そのたびに篤姫の口から
この言葉が出てくる。
 
言葉の意味するところは、なんら特別な
ことではない。でも、考えてみると
僕たちはどちらかというと一方を聞いて
沙汰している方が多い気がする。
世の中だってそう。テレビや新聞の報道を
みてみると、一方の考えでしか語っていない
ように思えるケースも少なくない。
 
攻撃された方はテロだといい、
攻撃した方はレジスタンスだという。
どのような立ち位置や考えから
捉えるかで物事の見方は大きく変わる。
 
物事は多角的に見よ、複眼的に見よ。
あるいは、時には鳥のように俯瞰で見たり、
虫のように地べたを這い、接近して見るのが
大切だ。
異なった視点や距離から見れば、それぞれ
違った見え方や新しい発見がある…と
さんざんそんなことを言われてきた。
 
もちろん分かってはいる。けれど
すべての情報をそのように見たり、
精査するのは無理だ。
能力もあるが、だいいち面倒。
便利な環境に浸かり続けていると、
ささいなことさえ労力を惜しんでしまう。
考えることさえ億劫になってしまった。
なんたるざまだ。
 
だから、広告のコピーでさえも
思考をサポートしていかないと
いけなくなっちゃったのだ。
 
というのはウソですが、価値は
分かりやすく、そしてスピーディに
伝えたい。だから次のような表現が
生まれるわけで…
 
 
★今回のビックリマークなコピー。
 
 
狙いが、正確であるっていうことは、
余分な資源を使わないっていうことです。

 
 
パワーロスがない。つまり、タイムロスがない。
 
 
ひとつめはエプソンのプリンタ技術、ふたつめは
フォルクスワーゲンのゴルフの広告より。
どちらも4年前くらいでやや古いのだが、
アプローチが似ているので並べてみた。
 
どちらも機能、性能を伝えて、続けてそれを
使う側にとってのメリットに変換している点。
つまり~、すなわち~という流れの構成。
コピーに限ったことでなく、文章であれ
口頭であれ、何かを人に説明するときの
コツである。
 
ゴルフのケースはストレートで分かりやすい。
エプソンのコピーは説明するとこういうこと。
この技術はねらったところにピンポイントに
インクを打ち出すメカニズムなので、
インクの無駄打ちがない。
それをエコ(省資源・省エネルギー)の視点
から語っているわけ。
 
もともとエコを目的に開発された機能では
ないらしいのだが、当時のエコブームという
状況のもと、新しい価値として訴求している。
 
このように、従来からあった機能や特徴が、
トレンドや世の中のニーズという視点から
捉えることで、新たな価値が生まれるは
よくあること。
 
ポリフェノールを思い出してほしい。
もともとあった成分が健康ブームで
脚光を浴びた。ココアやチョコやワインまでも
健康と言う視点のおかげで、カラダに良い食品
という新しい価値を持つことができたのだ。
 
モノに光を当てると、当てる角度や位置に
よって見え方は異なるし、映し出される
影のかたちは違ってくる。
ものごとは一方だけでなく、少なくとも
二、三方向から見ないと、実像というのは
なかなかわからないと思う。
思考停止にならないためにも、
多角的に見る、考えることは大事なんだね。
 
光を当てる位置や角度というのは、
アイデアの発想のスタートライン
にもなるから、いろいろ試してみるといいよ。
思わぬ発見と出会うことだってある。
下のように逆さまにするだけで、怖い顔した雄牛が
読書するロボットになる
わけだし。
$★コピーライターが思わず ! となったコピー。-bullrobo
 
じゃあ、その立ち位置や角度はどう決めれば
いいの?という話になる。
そうだね、フリスクを食べてみれば
いいよ、というのは冗談だが、
Hello,Ideaをテーマに宣伝展開している
同社のアドバイスを参考にしてみよう。
 
トップ画面のサムネールをクリックすると、
8つのヒントが現れる。
たとえば「視点を変えてみる」とかね。
$★コピーライターが思わず ! となったコピー。-frisk
 
もちろん、CMも参考になるかも。
その1アイデアはどこで生まれる?
僕は、歩いている時など移動中か風呂で
ひらめくことが多い。


その2状況や必要性によって価値もかわるぞ。
たとえばペンがヘアピンにとか。
常識にとらわれず、目的にこだわるのだ。

 
いずれにしても、まず先入観や思い込み、
を捨てることが大切だね。
常識だけで沙汰するなと言うこと。
 
ただし、ひらめきはコントロールできない。
アイデアの女神はどうも気まぐれらしい。
やっかいなことに必要な時にはなかなか
降りてこない。
 
そのくせ突然の腹痛のようにいきなり
降りてくるのだ。
たとえタイミングを逸しても、そんな
ものだとくよくよしないこと。
考え抜くことを怠らなければ
アイデアの女神は裏切らないようだし。
$★コピーライターが思わず ! となったコピー。-frisk2

人間だもの、マイケルは正しかった

読みにくいフォントの方が記憶に残りやすい。
そんな実験結果が出たそうで。
読みやすいフォントと読みにくいフォントで
ある情報を読んでもらい、その後テストをしたところ
読みにくいフォントで読んだグループの方が
正答率がよかったとのこと。
 
読みにくいゆえに注意を払って読むので
その分、頭に入ったのではないかという
ことらしい。
 
以前、似たような話を聞いたことがある。
軽く脳を混乱させるときちんと
理解しようとして、真剣に
読んだり見ようとするらしい。
 
たとえば、(この文中のように)
文章で別に重要な箇所でもない
適当なところにアンダーラインを引くと
読み手はワケが分からないので、じっくり
何度も読もうとする。(アンダーライン箇所は
重要だという先入観を逆手にとるのかな?)
 
同じようにある部分だけ、フォントや大きさ、
カラーを変えたりする方法もある。
他にもわざと逆さまにしたり、右から左に
ヨコ書きしたりとかね。
注意を引くだけでなく、一度に理解させようと
するわけだ。
 
ただし、こうした奇策はデザインやレイアウトの
バランスの崩し方に絶妙なさじ加減が必要だし、
下手をすると、ただの読みにくい、見にくい
ものになるのであまりやらないようだ。
紙一重ということだね。
 
脳を混乱させるというのは、
脳はあいまいな状況が好きではない
という特徴を活かすやり方だとか。
 
あいまいゆえに正確に理解しよう
とする。そんなメカニズムを利用する
アプローチなのだろう。
すらすら読めるとか、見やすいのが
必ずしも、十分な理解につながるわけ
でないということ。
 
以前、グローバル展開している企業が、
広告で展開先(ベトナムだったかな?)の
言語で書かれたコピーを使っていたが、
これを目にした時も、???と反応して
思わずじっくり読もうとしたのを
思い出した。
 
また、イケアが初めて日本に出店した
ときも、その告知とあいさつを載せた広告の
コピーはたしか、スウェーデン語だったと思う。
これまた、む?む?む?と反応したものである。
 
関連しているかどうかは分からないが、
本当に大事なことは小さな声で言えという。
ひと言も聞き逃さないという態度で聞いて
くれるからとか。
そういえば討論番組で姜尚中(カン・サンジュン)
さんが、低い声で囁くように話すと、
場が静まりかえって、みな耳を傾けているよね。
 
以前、大きなスペースに、わざと
キャッチコピーを小さくした広告を
みたことがあるが、
同じようなねらいなんだろう。
大きな文字では書けませんが…
なんてコピーだったと思う。
 
直筆や手書き文字も同じことが
考えられる。
見た目が不格好であったり不揃いでも、
いかにも人がやりましたという
感じがするものには、なぜか反応して
しまう。どうしてか。
心が伝わるような気がするから?
 
本当の理由は分からない。
でも、今では当たり前になったが、
店頭のPOPも手書きの方が読まれるなんて
言われて、昔はわざと手書きのような
デザインやフォントを使って、ハンドメイド感を
わざわざ印刷で作っていたこともある。
 
ダイレクトメールの宛名も手書きの方が
開封されやすいと言われる。
これは実際に試したので本当。これも
パーソナルな手紙に見せるとというのが狙い。
いかにもダイレクトメール然としたものは、
はなから捨てられるからである。
 
そこまでやると、キツネとタヌキの化かしあい
のようになってくるが、次のような真っ向勝負
というときは、人は人らしくありたいもの
なんだろうか。
 
 
★今回のビックリマークなコピー。
 
 
本当に大切なことを伝えたいとき、
人は、書くのかもしれません。

 
 
筆記具メーカー、パイロットの広告。
特定の商品についてではなく、企業の
メッセージを伝えるのが目的。
大切なことを大切な人に伝えたいとき、
ペンはあなたのそばにいますよというのが
伝えたいテーマ。
 
それを花嫁が父に書いた手紙という
モチーフのもとつづられる。
だから、ボディコピーが、
手紙を読む声が、涙で滲む。結婚式の
クライマックス。花嫁の手紙。
」からはじまる。
脚本のト書きのような文章だね。
 
このような物語を感じさせる表現は、読み手を
すぐに引き込む。つまり読ませるテクニックでもある。
別に物語にしなくても応用することができる。
 
たとえば、ある場面(例/商品がないことで困って
いる状況)の描写からはじめて、商品の必要性を
語ってもいい。目に浮かぶように描写
するのだ。(ビジュアルで表現してる場合は、
その必要はないよ)
 
それよりも、なぜパソコンではなく、わざわざ
ペンで書くのか。なぜ直筆の方が気持ちが
伝わる気がするのか。そのことを考え抜いたり、
深堀りしないと上のようなキャッチコピーは
なかなか出てこない。
 
なぜ?どうして?を問いかけながら、
真理や気づきを探すのは、とても頭を使うが
大切。うまいコピーも哲学者や科学者の
ように考えないといけないということ。
 
しかし、同じことを書いても
なぜ手書きとか直筆のほうが
うれしかったり、気持ちが入って
いる気がするのかねぇ。
うっすらとそんなことを
考えていたら、興味深い話に出会った。
 
人間は人間らしいものにひかれる
という仮説をもとにした研究がなされている。
アンドロイド研究で知られる大阪大学の
石黒教授は、人間を模したヒューマノイド
ロボットの姿が,どこまで人間に近づくべきか,
ロボットの見かけと動作がどのような関係を
持つのかといったテーマを研究しておられる。
(詳細は石黒研究室のWEBサイトを読んでね)
 
実験によれば、ロボットの見かけや動作が
人間に近づいていくと、親密度は増加していくが、
ある時点で新密度は急降下するという。
 
どうやら表情やしぐさ、感情表現といった人間らしい
細やかな動きがないと、いくら見かけが人間そっくり
でも無表情・無感情(たとえばゾンビみたいな)に
感じて、不気味に思ったりするようだ。
それで親密度が落ちるらしい。
 
そうしたメカニズムを解明しながら、人は人の
どこにらしさを感じるのかを探っている。
僕が気になったのは「人は人らしいものにひかれる」
ということ。
だから、手書きや手作りといった、どこか
(たとえば不格好であったり)人の匂いのするものに
親しみを感じてしまうのではないのかと。
 
こんな話もある。WEBユーザビリティの視線追跡調査
によると、ネットのディスプレイ広告、バナー広告では
ビジュアルに人の顔や人体の部位を使ったものが
よく注目されているという。
これも、人間らしいものに反応したのではないか。
 
こういうふうに見つめられると、たしかに無視できない。

$★コピーライターが思わず ! となったコピー。-chaild
 
健康食品は顔を使っているのは多い。
$★コピーライターが思わず ! となったコピー。-suntory
 
以前、人の顔のビジュアルはクリック率がよく
なるということをWEBディレクターから聞いた
ことがあるのだが、やはり「人間らしさ」が
カギだったのか。
 
昔、広告のビジュアルやパンフレットの表紙
には、人や動物など目のあるビジュアルを使うと
見てもらえる、捨てられないという「本当かいな?」
という話を聞いたものだが、案外とそうかもしれない。
 
これらのことは推測にすぎない。けれども
「人は人らしさにひかれる」という文脈で考えると
いずれも腑に落ちるんだね。
 
もちろん、見た目以外にも人間らしさを感じさせる
ものはある。手書き文字もそうだけど、
画一でない、均質でない、不完全や不安定といった
状態になぜか人の手や意思、あるいはメッセージを
感じてしまう。それもちょっと不思議だ。
 
建築家の安藤忠雄さんも面白いことを言っていた。
マンハッタンについて、こんな風に語ったいた。
「碁盤の目状の道路が区切る2028個のブロック。
そのシンプルかつ抽象的な基礎構造を
切り裂くように走るブロードウェイ。
たった1本の斜線が生む不調和が、人工の
都市に人間的な膨らみと奥行きを与えています

 
不調和を人間的な膨らみと言っているのは
興味深い。それは具体的にどのような
イメージなのかは少々分かりづらいが、
画一化されたものを崩すことに、人間らしさを
見出しているのは、手書きに人肌を感じることと
通じる気がする。
 
ともかく、人は人らしいものやイメージに
反応するのは確かのようである。
でも、なぜ人らしさにひかれるのか、
その理由についてはさまざまな仮説があるのだろう。
 
人は太古から恐れと不安を抱えて他者とつながりたいと
本能で感じていたからとか、大脳辺縁系がどうしたとかね。
もうこうなると、脳科学とか神経科学とか進化心理学の
領域の話になってくるので、僕にはさっぱり想像が
つかないのだが、あるいはすでに解明されているかも
しれないので、ご存知の方はぜひ教えてくださいませ。
 
ま、分からなくてもそれはそれでいい。
人間だもの、だから人間的なものにひかれるの。
それってヒューマンネイチャーみたいなものじゃない?
ということにしときます。
 
If they say
Why, why, tell 'em that is human nature

(Human Nature/Michael Jackson)
 
♪もし、どうして、どうしてと訊かれたら、
それが人間の性ってものだから~
マイケルの言うとおりかも。
$★コピーライターが思わず ! となったコピー。-michael
 
すいません、マイケルはそんなこと唄ってないです~
まだ、マイケルがただのキングオブポップだったころの
ライブ。思わず見入ってしまうくらいのパフォーマンス。
「Human Nature」、Rock with youと同じくらい好きな曲。

そうだったのか、ソーシャルメディアマーケ

ドラッカーの有名な言葉、
何によって人に憶えられたいか。
この言葉の意味するところは、
自らの強みといった自分にとって
重要なことを知ることによって、
まず所を得よと教える
(ドラッカー研究家、上田惇生)
 
つくづく鋭い言葉だと思う。
毎日のように情報が大洪水のように
流通している今、どのように
記憶されるかということは、
とりわけ仕事では、大きなテーマだ。
パワーブランドや人気のある商品や
会社、人もそう。
みな何かしら強烈なイメージと
一緒に憶えられている。
 
「所を得よ」をマーケティング寄りに考えれば
「ポジショニング」のことだろうか。
ポジショニングとは、見こみ客の心のなかに、
その商品の位置づけを行うこと。
 
情報社会(もはや災害が起きるほど
情報大洪水時代だ)で成功するためには
現実に即していなければならない。
現実とは「消費者の頭の中に
既にあるもの」だ。

 
ポジショニングの基本手法は「消費者の
頭の中に既にあるイメージを操作し、
それを商品に結びつける」
(ポジショニング戦略、A・ライズ&J・トラウト)
 
ざっくり言うなら、
○○といえば○○とお客に知覚させること。
レッテルを貼ってもらって、記憶の片隅に
格納してもらうイメージ。

 
良くも悪くも、このレッテルは一度貼られると

なかなか剥がれない。つまり、はがして
新しいものと替えるのは並大抵のことではない。
 
たとえばシャープのスローガンは
「目指してる、未来がちがう。」
だけれど、まだほとんどの人が
「目の付けどころが、シャープでしょ。」
と憶えていると思う。

 
先日のスターバックスのどこか中途半端な
ロゴ変更についても、それを非難するファンも
たんに好みだけでなく、スターバックス=
エスプレッソのコーヒーチェーンという
レッテルの変更に戸惑ってしまったからかもしれない。

 

★コピーライターが思わず ! となったコピー。-stb
 

おしゃかになったGAPのロゴ変更もそうかも。
不評だからといって元に戻したその性根も

どうかと思うけど。
 
★コピーライターが思わず ! となったコピー。-gap

ところで、会社でも人でも自分が思われたい
イメージと他者が思っているイメージというのは
必ずしも一致しない。
それがうれしい場合もあるし、がっくりする場合もある。
(だいたい、後者の方が多いのでは?)
もっともパワーブランドや人気企業がそうであるのは
自他のイメージが一致しているからだろう。
 
まぁ自分について、他人がどう思っているのか
それを聞き出すのはちょっと勇気のいることだが、
企業だとそう難しくない。
たとえばこんなキャンペーンで聞いてみるとか…
 
 
★今回のビックリマークコピー問いかけ。
 
 
無印良品といえば?
 
 
無印良品有楽町の10周年キャンペーンの応募に
使われたテーマというか、問いかけだ。
このキャンペーンは、ツイッターとFacebookを
使って行われた。
 
応募者は、無印良品といえば○○○と自分が
思っているイメージなり、商品なりを書いて
ツイッターとFacebookに投稿する。
投稿すればもれなく割引クーポンがもらえる
というもの。



★コピーライターが思わず ! となったコピー。-muji
 

これをソーシャルメディアを使った来店促進の
マーケティングの施策と捉えてもいいのだが、
僕はこの問いかけのフレーズにおやっ?
と思ったものだ。
池上彰さんなら、「いい質問でね~」
と言うかもしれないポイント。
 
無印良品といえば?という問いは、
無印良品サイドからみれば、無印ブランドが
どのように記憶されているのか知ることができる。
そこには思わくどおりと納得するものがあれば、
意外な発見もあるだろう。
 
これらの声は、宣伝や商品開発のヒントにも
なるし、無印のメッセージがきちんと
浸透してるかどうか判断する材料にもなる。
ポジショニング、あるいはリ・ポジショニング
にも役立つはずである。
 
一方、投稿する人やファンサイドから

すれば、宣伝のメッセージにもなる。

他の人の投稿を見ることで「私の知らなかった

無印」「そうだったのか!無印」を知ることが

できるわけだ。
 
実際に投稿内容をみてみると、
無印良品といえば「シンプルイズベスト」、
「機能美の極致」、「バームクーヘン」、
「私の毎日の定番服」…と様々。
ちょっとしたレコメンドになる。お客は
キャンペーンで手に入れたクーポンの
使い道ができるわけだ。
その意味では、とてもいいキャンペーン
テーマだと思った。
 
ソーシャルメディアを使ったマーケティング
の好事例のひとつになると思うが、
パーツを分解すると、その中身は
顧客、ファンの声を使ったアプローチ
ということもできる。

 

広告に、販促物に、WEBに顧客の声を
載せるという手法自体はとくに珍しいもの
ではなく、よく使われてきた方法だ。

 
ただ、ツイッターやFacebookを使うことで
声を集めること、宣伝をすることが
同時にオープンにできたことは、メディアの
特性をうまく活かしていると言える。
 
無印良品は、ツイッター、Facebookを使った
タイムセールなどソーシャル
メディアを上手に使っている企業のようで
手法ありきみたいなことになっていないのがいい。
 
ブログもそうだけど、新しいメディア(タッチポイント)
が出てきて、それをマーケティングに使うのは
とてもいいことだと思う。

 

しかしマーケティングのストーリーを考えないで、

魔法の手法かなにかと勘違いしてうまく使えて

いないケースも多い。
まずは作戦とフォーメーションを考えて
ほしいのだけれど。

 
結局、グル―ポンなどのフラッシュマーケティングの
使い方も、ストーリーの最初の点にすぎないのに
集客から儲けることまでを、すべて一発で
やろうとするからおかしなことになるのである。

 
線とか面で考えないで、点で考えるからてんでダメね
となってしまうわけだ。
 
参考になると思うが、企業のソーシャルメディアについての

調査データがある。
企業のソーシャルメディアの活用割合は増加傾向らしい。
でも、ツイッター利用者の企業公式アカウントフォロー数は、
平均3つ。ゼロも3割強
と消費者は冷静だ。(そして薄情で浮気者)
 
まぁ、理想と現実にははざまがあるもの。そこのところを
おり込みずみでやらないと挫折するだろう。
フォローが少ないとか投稿がないとかガックリして
疲れて止めることになっている企業も少なくないよね。

 
それよりも、冒頭のドラッカーの言葉のように
何によって人に憶えられたいかを確立することが先だ。
それにしても、無印良品ってつい無印商品と

書いちゃうんだな。

モノを売らずにモノを売る、これ如何に

わりと忘れられるので復習しておくと、
ハーレーダビッドソンは、バイクを
売っているのではなく、「反逆のライフスタイル」
を売っている。

真面目な奴が週末不良になる歓びを
提供している…らしい。
 
同じようにアップルはiPodやiPadを売っている
わけではない。わくわくするようなユーザー
エクスペリエンスを提供している。
スターバックスはコーヒーではなく、
スターバックスのある生活を提供している…
 
表立って言わないけれど、メルセデスは
車でなくステータスを提供している。
製品やサービスを通してもたらされる
体験というコト、あるいは価値とも言うが、
それこそが僕たちが求めているものだ。
(コレクターのように所有すること自体を
目的、価値と思う人もいるにせよだ)
 

パワーブランドに限らない、美容室だって
髪を切ったり洗ったりするサービスを
売っているわけではないだろう。
提供するのはカワイイわたしやキレイなわたし、

生まれ変わったわたし、あるいは癒しかもしれない。
 
でも、それは言わなきゃ分からない。
伝えないと気づかない。
僕たちは想像する能力は持ってはいるが、
個人差もあるし、だいいち普段はぼーっと
している。すぐに忘れる。うわの空なのだ。
いちいち関心のないことまでに想像力を
駆使したりしないものだ。
 
だから、ときどきコピーがその想像力の
発動のキューとなるわけだ。
 
 
★今回のビックリマークなコピー。
 
 
それは自由な時間を
プレゼントすることでもある。
 
 
自動掃除機ルンバの車内広告より。
「ルンバを贈ろう。」という
サブのコピーがあるので、これは
プレゼントとしてどうですかと
おススメして買ってもらのが目的。
 
ルンバというと、あの円盤みたいな
形のお掃除ロボットだ。
勝手に動いて、部屋を掃除してくれるんだ。
へえー、便利だね。ふつうはそんなところだろう。
 
それ以上は想像してくれない。自動皿洗い機と
同じだ。そりぁ便利で終わる。だからといって
消費者は分かってないなぁとガックリするのも
気の早い話だ。
 
自動で掃除してくれる価値は何だろう?
何をもたらしてくれるのだろうか。
どんな体験を提供してくれるのか。そこを
考えたい。そして、そこに気づかせよ。
 
掃除機ロボットは、掃除という労働から
開放してくれるだけ?そうなると
何が生まれるか…本来は掃除に費やされる
時間や労力が浮くのである。とくに時間。

(自動皿洗い機だって同じだね)
  
年々便利になっているはずなのに、
忙しさやわずらわしさはちっとも減る
様子がないというおかしな世の中にあって
時間は貴重だ。
そこをクローズアップしたのがこの表現。
 
たしかに、そう言われると納得するだろうけれど、
普段のうわの空状態では気づかないよね。
掃除の労力と時間はどうマネジメントするか。
たいていはそんなことまで考えない。
 
そういうときに、遠藤(サッカー日本代表MF)が
出すような絶妙なスルーパスを送ってあげるといい。
興味をもつべき、あるいは買うべき理由を
教えてあげれば、次のアクションへの
トリガーが引かれる…
 
ゴールの成功率を高めたいのなら、
的を絞ったアプローチがいい。
たとえば育児で忙しいママ、親の介護を
抱える方…など家事と時間の課題が最優先
事項の人々。腰痛に悩む高齢者でもいい。
 
彼らに合わせたメッセージを入れてあげれば、
問題可決の必要性が顕在化しているだけに
成功率は高くなるかも。
 
もちろん、彼ら本人へ直接届ける以外にも、
彼らの周りへのアプローチだって有効だ。
先のコピーのようにプレゼントと(腰痛に
悩む親にいかがとか)して提案すればいいのだから。
 
伝えて動かす技術としては、とても
オーソドックスというか、ありふれて
いるけれども、アイデア次第では
すばらしいゴールになる。
 
たしかにモノは十分にある、別に欲しくない。
けれども、誰もが解決すべき問題や願望を
抱えている。欲しいのはそれらを実現する
体験だ。そんなふうに考えること。
人はすぐに忘れるので、復習ということで。
 
世の中、いろいろなロボットが誕生して

話題になっているが、SONYにリストラされた
こいつはどこでどうしているのだろう。

(ゾンビになってないか)


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時々、美しいものを見ないと、心が荒みますよね。

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