いまどき、賢者になるのは大変だ。 | ★コピーライターが思わず ! となったコピー。

いまどき、賢者になるのは大変だ。

「今日、フィンランドから本物のサンタさんが来るのよ!」
と、その朝看護婦さんはうれしそうに言った。
 
入院で心がささくれはじめた僕は、普段であれば
ぴくりともしない話に、意外というくらいにときめいた。
入院が長引くと、身体は回復しても(しなかったらよけいに)
気持ちが後ろ向きというか、すさんだりするのである。
 
そんな状態の時だから、本物のサンタに会えることに
心が躍ったのである。
クリスマスに入院したかいがあったものだ。
 
とりあえず気をつかいましたよという程度の
ケーキとローストチキン付きの夕ごはんを
さっさとすましてサンタさんのお見舞いを
わくわくしながら待っていた。
 
食事とトイレと診療時以外は、
うつぶせに寝ておかなければならなかった
のだが、サンタが待ち遠しく
何度か廊下に出て偵察もした。サンタ、ウエルカム。
 
やがて消灯時間が近づき、検温のために
看護婦さんが入ってきたので尋ねた。
「サンタ、来ました?」
「来たよ。でも、さっき帰ったよ。」
「えー、こっちにこなかったよ」
「来ないわよ。だって小児病棟だけだもん」
「え、そうなの」
「あたり前じゃない。わたしは見たよ。大きくてね、
ニコニコして…見たかった?」
 
うん、見たかった。メリークリスマス、
元気になってくださいデス!と言われたかった。
キャンデーでもいい、クマちゃんでもいい。
大きな袋からプレゼントを出してほしかった。
それだけでしんどい入院生活を乗り切られるのに。
 
小児病棟は同じ階だ。角を曲がらず、
ちょっと通路をこえれば、自分のいる病室なのに。
幼稚園はカソリック、高校はプロテスタントという
キリスト教をなめたような学歴が気に障ったのだろうか。
 
大人は分かっていない。大のオトナでも
ひとたびディズニーランドに行けば、ミッキーや
ドナルドが着ぐるみと分かっていても
子どものように気持ちが高ぶることを。
大人だってサンタさんに会いたかったのだ。
それだけ弱っていたのだよ。
 
ひと昔前の話である。
なんてこったい。こんなくだらない話をする
つもりではなかった。クリスマスだ。贈り物のような
話がしたかったのにー。
 
 
★今回のビックリマークコピー言葉
 
 
ジム、わたしの髪は伸びるのがとっても速いの
 
 
貧乏な若い夫婦がいた。妻デラは夫ジムへ
クリスマスプレゼントを買いたかったがお金がない。
仕方がないので、美しい長い髪をバッサリ切って
それを売ったお金で懐中時計のチェーンを買った。
一方、ジムは大切な懐中時計を売ったお金で、
デラのために長い髪にあうひと揃えのクシを買った。
 
上の言葉は、ジムからの贈り物であるクシを
飾る長い髪がなくなったデラの姿をみて
呆然としているジムにデラがいったもの。
 
O・ヘンリーの「賢者の贈り物」という小説である。
互いの大切なものを犠牲にしてしまったことを
愚かと思うか、賢者と思うかそれは読んだ人それぞれ。
その人の人間性が試されるよな。
(髪は伸びるけど、また時計を買うのは大変だなんて
突っ込みはしちゃいけない)
 
 
プレゼント次は実話(らしい)。
商売が破たんした上に不景気。その年のクリスマスのこと。
その一家にはツリーはあったが、その下にプレゼントはなかった。
イブの晩、家族はみな落ち込んだ気分でベッドに入った。
ところがクリスマスの朝、ツリーの下にはプレゼントが山積みに!
 
みんなドキドキしながら、プレゼントの包みを開けると、
母親が失くしたショール、父の壊れた古いオノ、どこかに
忘れてきたと思った帽子などが次々出てきた。
どれも古い捨てられてもの、失くしたものばかり。
 
思いもよらない贈り物に、家族はゲラゲラわらうばかり。
でも誰が?それはその家の男の子の仕業。
何ヶ月もの間、無くなっても騒がれそうにもないものを
こつこつ隠していたのだ。そしてイブの晩、みんなが寝た後、
こっそりそれらを包んで、ツリーの下に置いたのだ。
最悪なクリスマスが最良のクリスマスになったというわけ。

これも賢者の贈り物かもしれない。
  
 
プレゼント次も実話(らしい)。
クリスマス前の水曜日のこと。教会で聖歌隊の練習を終えた僕は
帰り際に不審な車が入ってきたのを目にする。その車はあわてて
走り去った。気になった僕は帰るふりをしてあたりを一周して
再び教会に戻ると、さっき走り去った車が停まっている。
明りを消したはずの教会に明りがついていた。誰かが侵入している。
 
夜も遅い。僕は恐る恐る教会に入って行った。
すると祭壇の傍らに男女がいるのが目に入った。
僕はその男女を知っていた。夫婦である。
しかも二人は教区のメンバーだ。
 
その夫婦はもってきた巨大な袋からたくさんの新品の
おもちゃを取り出し、チビッコおもちゃプログラムの
クリスマスツリーの根元に積み上げていた。
 
女性は僕にお願いをした。「誰にも言わないで」
僕はだまってうなづくとその場を後にした。
僕は知っていた。彼らに一度も子どもがいたことが
ないことを。そして不妊症であることを。
家に帰りながら、僕は身体を震わせ泣き続けた。

この夫婦もまた賢者と言ってもいい。
 
2番目と3番目の話は、「ナショナルストーリープロジェクト」より。
作家ポール・オイスターが募った普通の人々の話。
以前、作家の小川洋子さんが紹介していたので読んでみたのだ。
市井に暮らす人たちの話である。泣ける話もある。
悲しくなる話もある。笑える話もある。
 
無理やり感動させようと泣ける話ばかりを集めたものには、
興ざめしてしまうが、この「ナショナル~」や今年出た
藤原新也さんの「コスモスの影にはいつも誰かが隠れている」
のように普通の人々の物語(話は必ずしも普通ではないが)を
読むと、人間へのいとおしさのようなものがこみ上げてくる。
 
余談だけど「コスモスの影に~」の中で、自殺しようと熱海に来た
若い男女が、幼子を抱いた女性と出会う話は読んだ後に
しばらく固まってしまい、そのあと感情が決壊しそうになった。
 
クリスマスには何の思い入れもない。いまさら
食べたり、騒いだり、セックスするための
販促イベントになったことに目くじらを
立てる気にもならない。ローマ法王ではないわけだし。
それでも、いろんな賢者の贈り物のような話が、
生まれるきっかけになっているのなら、楽しむのも
悪くない。
 
ところで、僕はまだ本物のサンタさんに会いたいだろうか。
今のところ、その気はない。いまのところシャバの空気を
吸っているし、それに今日、近所のパチンコ屋の前を通ったら、
店員だと思うが、サンタの格好をした(でもミニスカ)
かわいいお嬢さんを見ることができた。これで十分。
 
 
最後の贈り物は
Earth:The Story So Far/Prefab Sprout
クリスマスソングではないが、どうやらイエスの
誕生と救いについてうたっているようだ。
 
個人的には、そんなことよりもパディ・マクアルーン
(英国の至宝!)の久しぶりの新曲(厳密には違うけど)を聴けただけで
それだけでうれしい。レノン‐マッカートニー、バカラック、
ブライアン・ウィルソン、A・C・ジョビンのように有名でなけれど、
同じくらい素晴らしいソングライター。どうしてこんなに琴線に
触れるメロディを生みだすのだろう。プラネットアースのスぺクタルな
映像とロマンティックなメロディをどうぞ。




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