コテンパンにされても強い古典 | ★コピーライターが思わず ! となったコピー。

コテンパンにされても強い古典

昔から落語が好きで、ときどきCDや
テレビで聴いている。
昔は桂枝雀さんや春風亭小朝さん、
いまは、柳家喬太郎さんがお気に入り。
 
昨年、高座に行って笑い死にしそうになった。
いま大人気の咄家ですよ。
それと、喬太郎さんの師匠の柳家さん喬
さんも聴きごたえがあっていい。
語り口が上品だから、とりわけ人情噺が
とても沁みるんです。
 
立川志の輔さんもいいですよ。
名前は知っていたけれど、意外に志の輔さんの
噺をあまり聴いたことがなかった。
ためしてがってん、ということで
先日、CDで聴いてみた。聴いた噺は
古典「しじみ売り」と新作「みどりの窓口」。
 
「みどりの窓口」はもう爆笑。人物造形の
デフォルメぶりが何ともおかしい。
でも沁みたのは「しじみ売り」。これは、
ぜひ生で聴きたいねーと思ったくらい素晴らしい。
余韻まで堪能できるみごとなサゲ(最後のオチ)。
 
はじめて聴いた噺だが、なんでも
巨星!5代目古今亭志ん生の
オハコだったらしい。
ところが志の輔版「しじみ売り」は、
志ん生版とは、いくつか違うところがあるとのこと。
サゲも違うし、登場人物の設定や年齢なども違う。
噺の内容も少し違う。
 
落語に詳しい方はご存じだと思うけれど、
噺家はよく噺を改変する。だから同じ噺でも、
噺家によって異なることはよくあるはなし。
改変の理由はいろいろあるだろうけれど、
よく言われるのが時代との相性。
 
古典を今の時代、これからの時代に生かし
続けていくためには、時代に即した改変が
必要であることを噺家は分かっている。
だから、聴き手が分かりづらいことは省いたり、
変えてみたり、創意工夫しながら古典に
新しい命を吹き込む。
 
とうぜん言葉も表現もストーリーも変わってくる。
でも、テーマだとか面白さは変わらない。
変わらないどころか、時代と添うことでますます輝く。
古典は新しい装いで次へと受け継がれていくのだ。
 
何一つ変えてはいけないという古典原理主義
のような考えも分かるけれど、大衆芸能はやはり
多くの人に聞いたり、見てもらうことが大切だ。
そう考えると改変することも必要であると思うし、
そこもまた落語を聴く楽しみだったりする。
音楽でいうならば、リマスター、リミックスという
感じでしょうか。
 
 
★今回のビックリマークなコピー。
 
 
いま、息をしている言葉で。
 
 
2年ほど前に「カラマーゾフ兄弟」がベストセラー
になったが、その版元である
光文社の古典新訳文庫のコピーから。
WEBサイトには、
古典は、手にしたときが新刊です。
というコピーもある。
コピーを考えることとちょっと似ている。
文法からすると正しくなくても、よく伝わるように
息をしている表現にするということはよくある。

そもそも古典とは何だろう?昔の、古い文学や音楽?
では、同じ古いものでも埋もれてしまったものが
ある一方で、今なお知られたり、親しまれているものが
あるのはのはなぜ。
どこが違うというのだろう。
そう問うてみると、古典と呼ばれるものが
たんに古いもの、時代遅れのものではないと分かる。
 
こう考えてはどうだろうね。
古典とは長い時間の中で、その時々の価値観や
批評・批判といった風雪に耐えてきながら、
なおも新しい価値や新しいファンも
生み出す力のあるものではないか。
 
そして、その影には古典の価値を見出し、
ひろく知らしめたり、新しい考察をくわえたりして
伝えてきた有名無名の人々もたくさんいた。
 
新訳もそう。「カラマーゾフ兄弟」の他にも、
村上春樹さんが手がけたレイモンド・チャンドラーや
トルーマン・カポーティの作品が話題になったことも
あったけれど、それをマーケティングの視点だけで
とらえるのは、いささか悲しい。
(たしかに最近、古典作品の新訳は増えつつあるような、
たしかに新装、リニューアルもマーケティングではある)
 
古典を古いもの、時代錯誤と片づけないで、
古きをたずねて、新しきを知る
という気持ちで触れてみると面白かったり
するんですけどね。
 
小説や音楽、落語も。
昔はピンとこなかったけれど、今見ると
面白いとか斬新だーなんて思うこともある。
(それに、古典ってネタの宝庫なんですよ)
50年近く生きているけれど、知らなかった、
挫折した古典もさまざまな分野で
まだまだあるわけで、
これはもったいないということで、
最近はなるべく古典に触れるようにしている。
 
それで、いま読み始めたのが「闇の奥」
(光文社古典新訳シリーズ版)。100年くらい前の
小説で、20世紀最大の問題作と帯にうたわれている。
あ、そうなんだ。知らなかった。
 
なぜ、読もうかと思ったのか。それは「闇の奥」が
映画「地獄の黙示録」の原案、いや翻案だから。
昔、チャンレンジしたのだが、その時は小難しそうだし、
文字組もびっしりで読みづらく挫折した。
その時と比べると、少し賢くもなったし、
読みやすい新訳になったようなので今読んでいるわけだ。
 
おもしろい?個人的には惹かれるけれど、
誰もが面白いと感じるものではではないよ。
映画のように、ヘリコプター部隊がワルキューレを
大音響で流しながら攻撃したり、戦場に
バニーガールが降ってきたり、
「やつらを石器時代にもどせ!」と言って
ベトナムの村を焼いたり、「朝嗅ぐナパームの
香りは最高だ」等としびれるセリフやシーンはあまりない。
 
だだ、なぜこの小説に多くの映画人や作家が
魅入ってきたのか。それも読む動機になっている。
そういえば映画「アバター」について、
「ダンス・ウイズ・ウルブス」を引き合いに出した
論評
をいくつか目にした。
 
心に潜む帝国主義であるとか、
文明人に潜む野蛮と、野蛮に内包された崇高や
純粋さの対立といった切り口で語られているのを読んで、
おや「闇の奥」のテーマと同じじゃないかと思いましたよ。
 
「闇の奥」や「地獄の黙示録」は引き合いに出されて
いないので、僕の視点がずれているかもしれないが。
こういう話は、僕が言っても薄っぺらい話になる。
ぜひ町山智浩さんに語ってほしいところだ。
(すでに語っているかもしれません)

無理やり「アバター」につなげたけれど、そういった
仮説を立てたり、今と昔の落差を面白がったり、
古典の中にある普遍的なことや、新しいものの
中にある古典の影響を見つけたりするのはけっこう
楽しいし、仕事や生きるヒントになることも
あるんじゃないかと思う。
 
これまで、いろいろな小説や音楽や映画が
古典(あるいはその本質)をその時の最新の
意匠や「いま息をしている言葉」などで
リメイク、リモデルされてきた。
斬新なものとして評価されたものも多い。
そうした歴史を考えると、古典は古いものと
あっさりスルーしまうのは、まことに
もったいないことだ。いや、ほんとうに。
 
 
 
柳家喬太郎さんの新作の定番「午後の保健室」
「夜の慣用句」とともに人気。短い話です。笑ってください。




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「地獄の黙示録」のヘリコプター攻撃シーン
日本、北朝鮮、ベトナム、イラク、アフガニスタン、
アメリカは、野蛮(とアメリカが勝手に思ってるだけ?)
との戦争ばかり。そして相当痛い目にあっているな。
「地獄の黙示録 完全版」のコピーは、
戦争、アメリカ。
そして、アバターもハートロッカーも「戦争、アメリカ」でした。

 
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