踊るサルに、踊らされていますが何か | ★コピーライターが思わず ! となったコピー。

踊るサルに、踊らされていますが何か

そうすべきでないと分かっていても、
僕らは目の前の結果に一喜一憂し、
右往左往してしまう。

 

仕方ない、
だって結果がすべて。

そんな世界に生きて
いると、野生の本能ともいえる自分の中の
おサルがそうさせるから。

 
明日のバナナ3本より、今日の1本の

方が大切なんだ。
 
たとえば仕事のとき。よくある話だが、
こんな場合はとくにヒトの中の
サルがウキッと騒ぎ出す。
 
クライアントが、このアイデアで
やってみたらうまくいきました。
反応が増えました、アクセスが増え
たんです等とうれしそうに話をしている。
ほう、それは祝着ですなと返事をして
くわしく聞いてみる。

 
ところが、よくよく聞くとどうやらアイデアの
おかげというほどでもない。

偶然に状況が追い風だったとか、

それだけ大量に露出すれば
結果が出ない方がおかしい(でも、それって
コストがかかって赤字じゃん)とか、
実力というより運やツキの
おかげといった方がしっくりくる。
フロックに近いといってもいい。
 
でも、うれしそうに自画自賛している、
おサル状態の担当者に面と向かって、
残念ながら原因はあなたの力ではなく、
たんに運がよかったのではないかと
言えるわけもなく、さてどのタイミングで
うまいこと切りだすかと困ってしまう。
 
と、えらそうに言うけれど、自分だって読みが
当たったり、自分のアイデアでよい結果が出ると、
もしかして俺って天才?とか思うこともある。

 
それでも、ここはおごらず冷静にと努める

のだが、一方で謙遜しすぎると自信喪失に

なっていやだなと思ったりもする。

そんな具合で気の持ち方のさじかげんに
戸惑うこともないわけではない。

 
ちなみに、僕の周りには自称天才だと豪語する
奴が何人かいる(きっとあなたの周りにもいるよね?)。
それで、そういう奴らに
「自称天才に天才はいない」とつっこむと、
中にはそれを言っちゃお終いよと

「いや、そういわないと自信なくしそうで…」と
素直な姿をさらけだす奴もいる。

 
そうまでしないと自信を持てないのかと
笑ってしまうが、そうだよな、
気持ちは分かるぞ。
だって、人間だもの(by相田みつを)。
 
まぁね、自分を客観的に見つめることは
難しくもあるけど、うまくいった時は
自分を過信せずに運や偶然に助けられた
と思うくらいがちょうどいいだろうし、
原因を突き止めるなら、自分以外の状況まで
拡げて分析することだ。

 
失敗した時は反対に状況や他者のせいに
しないで自分の思慮や行動を省みる。
そういう姿勢が大切だとこの方も
仰られておりますよ。
 
 
★今回のビックリマークコピー言葉。
 
 
勝って不思議の勝ちあり、負けて不思議の負けなし
 
 
プロ野球チーム楽天の元監督、野村克也さんが
よく使う言葉。ご本人が考えた言葉ではなく、
何かの会合である経営者と話をしたときに、
その経営者が言ったものであるらしい。
(そう自著に書いてあった)でも、今では

野村名言のひとつとされている。

 
難しい解釈は必要ない。
ものごとがうまくいった時など、得てして
自分の実力と思って驕りがちになるけれど、
そうではなく、運やツキのおかげであることが
少なくない。

 
しかし、うまくいかなかった時は、
自分の落ち度などハッキリした

原因があることがほとんど。

つまり失敗の場合は、失敗するべくして
失敗するものだということ。
 
この言葉とはじめて出会った時に、
若いころ、ある経営者から聞いた

言葉を思い出したものである。

正確ではないが、
おおむね次のようなことである。

 
「結果には必ず原因がある。結果ばかり見て
判断をすると間違う恐れが大きい。
まずそこにどんな原因があったのかを
考えること。それを社員にも言っている」
さすが、大きな会社の社長は言うことが
違うなと感心したものだ。

 
今でもけっこう気にしている
言葉だけれど、野村名言に通じるものが
あるよなとあらためて思う。
 
結果には必然、偶然と何かしら理由がある。
そんなまっとうなことでも、僕らはすぐに忘れる。

とりわけうまくいった時は、自分の中のサルが

ウキャっとダンスするもんだから、
理由などどうでもいいとさえ思ってしまう。
結果オーライ、終わりよければすべて良し。
そして、間違った成功体験を己の実力と
勘違いしてことに当たることになる。

 
極端になると、自己評価が異常に高くなり
とてもイタイ状況へまっしくぐらと
いうことになる。
 
自分のいる業界の話だと、こんな

ありさまが想像される。

たとえば競合の露出がほとんどないときに
広告を出すなどキャンペーンを展開し成功したと
する。原因は素晴らしいアイデアとクリエイティブ
の勝利だと思ってしまう。(実際、そうかもしれないし)
でも偶然に競合の露出が少なかったという有利な環境
も大きな勝因であることは軽くみてしまう。
あるいは無視してしまう。(もし、意図して実施した
のならそれはみごとな作戦だけれども)
 
で、同じキャンペーンを再度実施する。しかし
うまくいかない。今度は競合もキャンペーンを
行っており、前回のように視界に敵なしという
環境ではなかった。

 
ところが、前回の成功体験にしばられて、
原因はアイデアやクリエイティブだと思ってしまい、
その修正に血眼になる。

たんに競合とガチンコ
勝負になったためかもしれないのに。

 
かくして見当違いなフィードバックによって、
失敗スパイラルに陥る。(まぐれでうまくいく
こともあるでしょうけれど)

ここまで分かりやすくはないが、これに近い

ケースにはよく出くわしたものである。
 
要するに、きちんと原因を分かっていないと、
間違ったフィードバック、間違った成功体験によって
失敗の袋小路に入り込んでしまう危険がある
ということである。
 
これがキャンペーンの失敗ぐらいならいいのだが
(いや、よくないか)、国の存亡にかかわるような
状況だと大変である。戦争なんていい例かもしれない。
 
1905年の日本海海戦での大勝利という成功体験に
しばられた海軍(連合艦隊)はその40年後に
太平洋の藻屑となった。
日露戦争と太平洋戦争のことである。

 
「昭和史」で知られる作家の半藤一利さんによれば、
太平洋戦争においても、海軍は日露戦争での勝利、
つまりバルチック艦隊を破った日本海海戦での
あまりに大きな成功体験に固執したことが
間違った戦略を生んだと指摘している。

 
海での戦いは、すでに航空機中心になった
というのに、開戦当初、海軍のエリートたちは
あの「坂の上の雲」の主人公のひとり、日本海海戦
勝利の立役者である秋山真之(ドラマではモッくんが
演じている)が考案した艦隊決戦案にもとづいて
対アメリカ作戦を立てていたという。

 
さぞかし坂の上の雲の上のあの世で秋山真之も、
東郷平八郎も、広瀬武夫もそんなアホな!
とあんぐり口をあけていただろう。
 
結果は分かりやすい。だから評価もしやすい。
それが正しいかどうかはともかく。
結果に対する原因やそこに至った理由を考える
のは面倒くさいし、さまざまな分析が考えられる。

結局、はっきりとした理由は分からないなんて

こともあるだろう。

評価も難しいことだってあるかもしれない。

 

それでもなんとか結果からプロセスをさかのぼり、

要素を拾い上げて、そこから何がそうさせたのか、

どうしてそうなったのか等と文脈を読み当てようと
する。

 

そんな人や組織はきっと視野の広い戦略眼とか
戦術眼を持っていて、なかなか負けないし、
高い問題解決能力があるのだろうなと思う。
 
自分のことを棚に上げていうけれど、
結果で一喜一憂するのは仕方ないとしても、
結果と原因を考える人は少ないように思える。
(個人的な印象ではあるが)
それでも悪い結果のときは、それなりに
原因をつきとめることをするが、よい結果の

時はそれほど細かくはつきとめない。

 
すべて自分の実力のおかげという

高すぎる自己評価。

そこから生まれるのは必敗まっしぐら
のおごりと、誤ったフィードバックによる
悪循環である。

 
仕事をとおして、そんな残念な企業や人々に
数多く出会ったきたし、広告業界もそんな

ところが多々あった。

ともかく、よい結果が出ても、ツキのおかげと

思うくらいがちょうどいい。
 
そう言うけど、運も実力のうちって言うじゃない?
それは自信をつけさせるために
誰かが言ったことが広まったのではないか。
それなら、不運も実力のうちとも言えるではないか。
でも、がんばっているにもかかわらず、
結果が出なくて落ち込んでいる人に向って、
そんな残酷なことは言えないね。

 
幸運も不運もあくまで運であって、雨や
風のようなもの。実力とは関係ない。
そう思った方が精神衛生上、ラクではないだろうか。
 

素晴らしい結果が出たら、
俺ってスゴイ、俺って天才、俺ってサイコー…と
自分の中のサルが踊りだすのは仕方ない。
でも、ひと踊りした冷静になって反省しよう。

 
反省だけならサルでもできる。
人間だから愛情一本。チオビタドリンク。
 

昔そんなコピーもあったじゃないか。
そこはひとつ、ドリンクの代わりに、
勝って不思議の勝ちあり、負けて不思議の
負けなし。そう言ってあげよう。
なんだかんだいっても、
サルも木から落ちるわけだし。

 

 

いまでもあちこちで

似たようなことが、

起きていると思う。

昭和陸海軍の失敗―彼らはなぜ国家を破滅の淵に追いやったのか (文春新書)/半藤 一利
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