人類を救うのは宇宙戦艦ヤマトでなく贈り物 | ★コピーライターが思わず ! となったコピー。

人類を救うのは宇宙戦艦ヤマトでなく贈り物

年賀状は、贈り物だとおもう。
 
2,3年前から日本郵便が広告で
使っているメッセージ。
その年のCMや印刷広告によって、
いろいろな使われ方がされている
ようで、最近見たのは、
 
また、人を人を
想う季節が、やってきた。
というコピーの締めに
この一節が登場するパターン(新聞広告)。
 ・
★コピーライターが思わず ! となったコピー。-nenga01

CMギャラリーはコチラ
 
年賀状とは贈り物であるとな。
はじめて見た時、しゃれたことを
言うもんだなと思った。
(そうは言っても、毎年、年賀状の
販売ノルマを課せられ、自腹を切って
(金券ショップで換金するなど)
奉公している郵便局の中の人たちに
とっては年賀状は厄介もの?)
 
ただ半ば義務と刷り込まれてきた
新年のあいさつを贈り物と受け
止めるには、何かそこにスペシャルな
価値があるのではと感じるなり、
想像しないことには、
ピンとこないだろうなと思う。
誕生日のプレゼントやお土産とは
気持ちの入れようも違うしね。
 
それで、贈り物である年賀状に、
込められた贈る人の思いとは
いかがなものか。
そこから考えてみる。そんな面倒な、
まぁ、そう言わずに想像力を鍛えると思って。
いろいろありましょうが、
広告ではこんな風に言っている。
 
 
★今回のビックリマークなコピー。
 
 
1月1日の、
あなたの心の中にいたいから。
 
 
やはり日本郵便の広告で、
年賀状は12月25日までに出してね、
そしたら元日に届きますからという
行動をうながすのが目的のメッセージ。
 
伝えたいことを年賀状を出す人の
気持ちを借りて言わせる表現。
悪い言い方をすると、広告にユーザーの
サクラを登場させて語ってもらう方法。
ともあれ、年賀状を出す理由に気づかせる、
動機づけってやつですな。
 
なるほどね。1月1日に私のことを
思い出してくれればいいのか。
まるで広告でいうリマインド目的
みたいだけど、こういうメッセージは
贈られる人は、どんな気持ちで受け
止めるのかな。
 
そりゃうれしいに決まっているでしょ。
それは分かる。でも、なぜうれしいの?
うれしさの正体って?そんなことを考えて
いたら、昔のコピーを思い出した。
 
好きだから、あげる。
 
好きだから。プレゼントの理由は、
この一言で充分です。この一言が
すべてです。好きだからプレゼント
するのです。人と人の幸せな出来事
のはじまりには、いつも「好き」という
感情の動きがあるように思うのです

 
というボディコピーが続くこのコピーは、
丸井のキャンペーンで使われたものである。
 
単純明快。意外であれ、やっぱりであれ、
私のことを気にかけてくれている、
私のことが好きなんだという
メッセージはたしかに贈り物になるね。
 
いやいや、年賀状で好きまでは
思わないでしょ。そう思う?
でも、小学校のとき、隣のクラスの
女子から年賀状をもらったときは、
もしかして好かれてる?と
舞いあがったものである。
バカにはできませんぞ。
 
もっとも広告のメッセージだから、
好きなら、プレゼントのひとつ
でもしなさいよといわれている気が
しないでもない。
まぁ好きとは思わないでも
これくらいのことは思うんじゃない?
 
プレゼントがうれしいのは、
会っていない時に自分を
意識してくれたことが嬉しいのだ。
 
ドラマで泣いて、人生充実するのか、おまえ
という、きつかわゆきおさんによる言葉の
贈り物の詰め合わせみたいな本に書かれてあった。
 
ああ、これはぴったり。プレゼントを

年賀状に置き換えても、腑に落ちる。
プレゼントそのものもうれしいだろうが、
贈る人の気持ちに感動するのだ。
 

一緒にいないときに
私のことを思ってくれた、思い出して
くれたというのがうれしい。
うれしさの正体は、やっぱりこれが
一番でしょ。
 
そう考えると年賀状も贈りものになる。
ふだんから顔を合わせているわけではない、
いつも近くにいるわけでもない、特別親しい
というわけでもない…それなのに私のことを
気にかけてくれた、そのよろこびは
たぶん贈った人が想像する以上に大きいはず。
実際、CMでは同じようなことを言っているし。


★コピーライターが思わず ! となったコピー。-nenga02

 
年賀状のコピーの「1月1日の、あなたの
心の中にいたいから。」という贈る人の思惑は、
「私はあなたのことを忘れていません、ちゃんと
思っていますよ」という贈り物になって届く。
 
贈られる人は「私のことを憶えて
くれた」や「私には私を気にかけてくれる
人がいる」と受け止める。反転して
言えば、「1月1日、わざわざ私の心を
訪ねてきてくれてありがとう」となる。
 
そういうふうに想像できないと、年賀状が
贈り物といわれてもその価値が分からない
ままで、いい表現だねで終わってしまう。
 
それはそれで誰も困らないだろうが、
たぶん、このコピーを読んで、本気で
年賀状を贈り物と思っている人なんて
少なそうだから、日本郵便の思惑は
どうなのかは別にして考えてみたしだい。
 
贈られる人など何かを
受け取る側についてどれだけ
想像を働かすことができるか。
これは広告のメッセージだけでなく、
商品とかサービスのしくみを考える
さいにとても大切だと思うし、
よくそう言われている。
 
そんな心構えがないと、いくら
おもてなしとかきめ細やかな対応
といっても、上っ面の、形骸化したものに
なってしまうのではと思う。
事実、そんなサービスとか接客
マニュアルとか多いと思いません?
 
贈る相手のことを思う想像力、贈って
くれた相手に対する想像力が行き交う
贈る、贈られるの関係は、つらい世の中を
生きるために必要なことだと思う。
 
人間関係や社会の中で、そうした贈る、
贈られることを意識した関係が当たり前
のようにあると、少しは世の中の苦痛が
減るのではないだろうか。
 
いま、つながりとか共感のプラットフォーム
として、いろいろと期待されているソーシャル
なんとかも、しくみやビジネスモデルばかりで
語られることが多いが、参加者や運営者の根元に
贈る、贈られる関係の考えがないとせっかくの
ソーシャルも荒涼とした世界になるのではとも
思っているんですが。
 
というようなことを内田樹さんの著書や
ブログを読んで考えてみたのでした。

 
贈る、贈られるのルール、贈られたら
お礼をするという考えは、昔から人類社会の
基盤としてあったのだとか。
その贈与と反対給付義務(お返し)について、
あの内田さんのブログから分かりやすい部分を
抜粋して紹介する。
(興味をもったらぜひ全文読んでくださいな)
 
私たちは自分が欲するものを
他人にまず贈ることによってしか
手に入れることができない。
それが人間が人間的であるための
ルールです。
今に始まったことではありません。
人類の黎明期に、人類の始祖が
「人間性」を基礎づけたそのときに
決められたルールです。
親族の形成も、言語による
コミュニケーションも、
経済活動も、すべてこのルールに
準拠して制度化されています。
 
祝福の言葉を得たいと望むなら、まず
僕の方から「あなたにはいつまでも
幸福でいてもらいたい」という
言葉を贈らなければならない。
まず贈与するところからすべては始まる
  
「受け取るだけで、次にパスを出さ
ない人」は贈与と返礼のサイクルから
しだいに押し出されて、周縁の
「パスの通らないエリア」に位置
づけられることになります。
 
どれほどわずかであっても、手持ちの
資源を惜しみなく隣人に贈る人は
このサイクルにおける
「ホット・ポイント」になります。
贈与と返礼のサイクルはこの
「ホット・ポイント」に資源が
集中するように制度設計されています。
 
僕たちの時代がしだいに
貧しくなっているのは、
システムの不調や資源の
枯渇ゆえではなく、
僕たちひとりひとりが
「よきパッサー」である
努力を怠ってきたからでは
ないかと僕は考えています。
 ・
以上「自立と予祝について」
 ・
少々的外れかもしれないが、これを読むと
「わらしべ長者」とか「情けは人のためならず」とか
「情報は情報をたくさん出す人に集まる」といった話が、
実は贈与と返礼のサイクルの上で成り立っている
と思ってしまうんだな。
ギブ&テイクではなく、ギブ&ギブ&ギブの精神。
 
内田さんは著書「街場のメディア論」でも
贈与とお返し(反対給付義務)について、ブログと

同じことを語っている。
 
人間であろうと望むなら、贈与をしなくて
はいけない。贈与を受けたら返礼しなければ
いけない。すべての人間的制度の起源にあるのは
この人類学的命令です。
(第七講 贈与経済と読書)
 
人間社会が、贈与と反対給付義務に
基づいて構築されているという仮説に

基づいて人類型モデルが体系化されて、

その仮説の妥当性が
今もって反証されていないとか。
 
とレヴィ=ストロースやマルセル・モースといった
文化人類学者たちの考えを用いながら、内田さんは
メディアのや出版の不調について、またこれからの

わけのわからない未来で生き延びていくことについて
述べている。僕にはとても新鮮に響いた。
(といっても、半分くらいしか理解していませんが)
 
贈与と反対給付義務。それは心理学的でいう
返報性の法則」が働いているから、
マーケティングでよく活用される原理
といったビジネス書のような視点だけで
考えてもこんなふうに深く考えさせられる
ことはない。
 
あなたなしでは生きてゆくことができません。
あなたの末永い健康と幸福を私は切に願います」という
予祝の言葉に対しても、それと同文の言葉を返すことが
人類学的には義務づけられています。
と内田さんはお書きになっているが、そう考えると
やはり年賀状も贈りものであると、いや
そう思わなくてはいけないということになるね。
 
年賀状は贈り物なんて、素敵な表現ではあるが、
ちょっと大げさと思っていた。でも、これで納得。
 
しあわせになりたいなら、まず贈るってことでOK?


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