地震は宮沢賢治に何を書かせたのだろう | ★コピーライターが思わず ! となったコピー。

地震は宮沢賢治に何を書かせたのだろう

それは小さなニュースだけれど、
見出しが目にとびこんきた。
 
銀河鉄道の夜再び 釜石線17日ぶり復活(日刊スポーツ3/29)
“銀河鉄道”が、岩手の夜に戻ってきた。
県内の花巻から釜石を結ぶJR釜石線は
28日、東日本大震災以来、17日ぶりに
花巻-遠野間で運転を再開。
(記事より)
 
夜間に走る釜石線は、宇宙旅行をする
銀河鉄道を想像させる。
(記事より)
ああ、乗ってみたいねぇ。事態が落ち着いたら
ぜひ訪ねたいよ。
 
この釜石線というのは、宮沢賢治の
「銀河鉄道の夜」のモデルになった路線だという。
そうか、宮沢賢治は岩手県花巻の出身だった。
 
僕はこの童話が好きで、何度も読んでいる。
登場人物をネコにした、ますむらひろし作の
マンガ版、それをアニメ化した「銀河鉄道の夜」
も好きである。
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複雑なストーリーではないが、読むたびに
様々な感じ方ができたり、違った発見がある。
童話ではあるが、SFのような哲学のような
なかなか捉えにくい、奥の深い内容だと思う。
 
それなのに惹かれてしまうのは、どこか切ない
話とは対照的な銀河空間の旅のファンタジックな
描写のせいである。
不思議な世界へ引き込む磁力があるため、
おかしな言い方をすれば、トリップして
しまうのである。
 
ところで、この話の中で何度か
本当の幸せって何だろうと問いかける
箇所が出てくる。
登場人物のジョバンニやカムパネルラ、
乗客がそんなことを言うのである。
 
彼らは特別何か不幸な状況に置かれている
わけではないこともあって、妙に想像力を
かきたてられる。
なかでも最も印象的な科白はというと…
 
 
★今回のビックリマークな言葉コピー
 
 
僕はもうあのさそりのようにほんとうに
みんなの幸(さいわい)のためならば
僕のからだなんか百ぺん灼(や)いてもかまわない。

 
 
主人公のジョバンニが親友カムパネルラにそう言う。
銀河の旅の終わりがけの場面に出てくる、強烈な表現だ。
実はこの言葉、昔、文庫のCMで宮沢りえさんが朗読する
のだが、「銀河鉄道の夜」を読んでいたにも関わらず、
それまでこの一節には全く気づかなかった。というか
忘れていた。
CMから流れてきたおかげで関心を持ったのだ。
 

 
ここに出てくるサソリは、話の中のある
エピソードのサソリのこと。旅の途中でジョバンニたちは
赤く光る火に出くわす。それはサソリが死んで
燃えている火だという。
 
なぜサソリは燃えたのか。生前、サソリは小さな虫を殺して
食べて生きていた。ある時、イタチに食べられそうになる。
サソリは逃げる途中、井戸に落ちておぼれてしまった。
いたちは井戸の中でこう後悔する。
 
「ああ、わたしはいままでいくつのものの命を
とったかわからない、そしてその私がこんどいたちに
とられようとしたときはあんなに一生けん命にげた。
それでもとうとうこんなになってしまった。
ああなんにもあてにならない。
どうしてわたしはわたしのからだをだまっていたちに
呉(く)れてやらなかったろう。
そしたらいたちも一日生きのびたろうに。
どうか神さま。私の心をごらん下さい。
こんなにむなしく命をすてずどうかこの次には
まことのみんなの幸のために
私のからだをおつかい下さい。」

(原文引用)
 
そう言うと、サソリの体は燃えだし
いまでも続いているという内容。
 
さて、自分を百ぺん灼いてもかまわないという、
ジョバンニの自己犠牲を思わせる言葉に
カムパネルラはこう返す。
 
「うん。僕だってそうだ。」カムパネルラの眼には
きれいな涙がうかんでいました。
「けれどもほんとうのさいわいは一体何だろう。」
ジョバンニが云いました。
「僕わからない。」カムパネルラがぼんやり云いました。
「僕たちしっかりやろうねえ。」ジョバンニが胸いっぱい
新らしい力が湧くようにふうと息をしながら云いました。

(原文引用)
 
いまこのタイミングで読むと、おのずと
今回の地震でわが身を投げうつように
親兄弟や友人、隣人、あるいは被災者を
救おうとした人々のことを思ってしまう。
 
そうした気持ちを傍らに置きながら
でいいと思うのだが、この機会に
本当の幸せとはいったい何だろうねと
考えることがいま必要なのではと強く思う。
 
すでに多くの人が言うように、
3月11日以前と以降では、多くのことが変わる。
社会制度も暮らしも経済も政治もね。
もちろん価値感や心のありようだって。
 
なかでも幸福感はまるっきり
変わるんじゃないかな。
後々の話、あの日を境に人生や仕事の
価値感が大きく変わったなんて人は
多く出るのではないだろうか。
 
そもそも「幸福」というのは定義しにくいもの。
衣食住に困らないという分かりやすい、
最大公約数的な意味はあるにせよ、その中味は
人それぞれだし、環境や年齢によっても変わる。
また、主観と客観では捉え方が大きく違ってくる。
それに相対的だ。絶対的な幸福というのは
定義するのは難しい。
 
それでもちょっと前までは、トルストイが
すべての幸福な家庭は、互いに似かよっているが、
不幸な家庭はどれもが、それぞれの流儀で不幸である

と「アンナカレニーナ」の中で書いたように
幸福のプロトタイプはあったと思う。
(昭和の広告やCMを見るとそれがよく分かる)
 
けれども、今回のことによって
信じられる確かものと、もはや信じられなく
なったものリストが大きく変わったのでは
ないだろうか。それにともない
これからは幸福のイメージも、またそれぞれの
流儀によって違ったものになるのではと思う。
 
この先、自分や国の未来がどうなるのか
明るいのかそうでないのかは見当がつかない。
それでも、自分にとって、コミュニティにとって
日本にとって、本当の幸いとは?を考えなくては
いけないように感じる。
つまるところ、傍観者ではいられなくなる
ということ。どうだろう?
 
(冒頭の新聞記事より再び)
賢治が生まれた1896年(明29)には、明治三陸地震と
陸羽地震が発生。岩手県と秋田県に多くの被害をもたらした。
亡くなった1933年(昭8)にも、三陸沖地震が起きた。
賢治は裕福な家庭に生まれながらも、地震被害にあった
貧しい人たちの悲惨な姿を見て育った。天候や気候に気を配り、
農業指導に力を注いだのは、地震の体験によるものだとされる。

 
この記事から察すると、賢治は本当の幸福とは何かを
真摯に問いつづけながら童話を書いたのであろう。
しかし「銀河鉄道の夜」でもその答えを見つけることが
できなかった。
 
それゆえに、この作品が永遠の未完成と言われる
のも分かる。それなのに多くの人々に好かれるのは
「銀河鉄道999」の影響ではなく、
やはり幸せとは何かを考えることの大切さを
読んだものが感じることができるからではないかな。
 
ともかく確かなのは、
すべてが変わるだろう、3.11以降の
世界の中で生きていかなくては
いけないということ。
 
ジョバンニの言葉を借りるなら、
僕たちしっかりやろうねえ。」って
気持ちを持って歩くしかないようだ。
 
 
■アニメ「銀河鉄道の夜」
予告編

 
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■銀河鉄道の夜(新潮文庫・青空文庫)
「銀河鉄道の夜」はいくつかバージョンがあるが、
新潮文庫の「新編 銀河鉄道の夜」が、底本なので最終形だと思う。
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■朗読「銀河鉄道の夜」
それと、おススメしたいのが
朗読「銀河鉄道の夜(全編)」(無料)
Podcastsで聴くことができる。(全19ファイル)
 
iTunesで「銀河鉄道の夜」で検索してダウンロード。
静かなピアノをBGMに、女性が朗読する。
 
「銀河鉄道の夜」はわくわくする楽しい話ではない。
どちらかというと悲しい話である。それなのに
夜、しんとした中でこの朗読を聴いていると、
心も呼吸も穏やかになってくるのだから不思議。

しっかりとしながらも、温かみのある声と
ファンタジックな描写によるものなのだろう。
一度に聴こうとすれば、2時間以上かかるので
毎晩少しづつ聴くといい。