★コピーライターが思わず ! となったコピー。 -35ページ目

タバコの広告が悲しい

サッカーに興味が無い人は以下6行スルーしてね。

プレミアリーグで、昨日マンU(マンチェスターユナイテッド)が
アーセナルを撃破。
4-2の快勝だ。これで2位浮上。アブラモビッチ艦隊の追撃に入った。
勝ち点を考えると、優勝のハードルは高そうだが、最近マンUの調子が上向きでうれしい。
どうして?それは私がマンUファンだからである。
チャンピオンズリーグが楽しみである。


それにしても悲しい広告である。何が?
タバコの広告だ。
メインでは、タバコを楽しむ風景をおもいきっりカッコよく表現しているのだが、その下、またはその横に目立つようにタバコによる害を述べている。

「タバコを吸うって、カッコいいぜ。あんたもやりなよ。ただし、吸ったらガンになるぜ。さぁどうする?」というメッセ-ジを送っているのだ。
広告の規制があるとはいえ、タバコを買ってもらいたいのか、タバコを買って欲しくないのか、それを曖昧にせざるを得ない、タバコ会社の苦悩に悲しさを感じるのだ。

タバコを吸うことのリスクは、すでに知れ渡っているのだから、そろそろ切り口を変えてもいいのではないかと思ったそばから、こんなコピーが目に飛び込んできた。

今日の!なコピー。

タバコなんざ、
ガキや貧乏人に黒人、あとは
バカに吸わせておけ


「悪魔のマーケティング」という本のオビに書かれたコピーである。
まぁびっくり!なってこったい!というような言い草である。
これは本の中で、紹介された米国大手タバコ会社役員の発言である。

初手から、このコピーに!になったために、思わず手にとって見てしまった。
悪魔のマーケティングというから、悪魔的と呼ばずに入られない、
画期的なマーケティングでも書いているのかと思ったが、
内容は1960年代から行われ続けられてきたタバコ産業の恐るべき
市場戦略の実態について書かれており、そうとう衝撃的な内容であるらしい。

タイトルといい、オビといい、インパクトありすぎである。

去年、知り合いの会社が、タバコ会社へ「禁煙プログラム」プロジェクトの
提案を行ったのだが、その企画に少し関わったことがある。
非常識な提案であるが、タバコ事業の将来を考えると、基幹事業をスイッチする必要性があると考えたわけだが、実現には至らなかった。

本音では、やりたいという気はあるが、現実的ではないとのことらしい。

さて、今後タバコの広告の行方はいかに。

ケータイの向こうに何がある?

昔から、日本には八百万(やおろず)の神々という考え方があった。
森羅万象すべてに神が宿るということである。

最近、私が最も神の宿りを感じるものがある。それは携帯電話である。
うつむき加減になって、一心に携帯電話の液晶を見つめるその姿に、

信仰心のようなものさえ感じる。
その画面の向こうに何があるのか?
そんな質問を投げかけて見たい気になるのだ。
その答え?のひとつを広告で発見。

今回の!なコピー

ケータイの向こうに
あなたの無事を待つ人がいる。


本日の日経新聞の全15段、広告主はNTTドコモ。
コルクボードに、被災した人のメッセージが書かれた
メモが貼られており、それが携帯電話のかたちに
なっているというビジュアルだ。

「iモード災害用伝言板」というサービスの広告である。
これを使うことで、万一地震等の被害に遭っても、家族などに
自分の状態をいちはやく知らせることができる。

通話が集中すると、電話がかかりにくくなるので、
伝言場を使う方が連絡をとりやすくなるということだ。

そういえば、新潟中越地震が起こった際に、ニュースで携帯が
つながりにくいので、メールを使用した方が連絡がつきやすい
とキャスターが電話よりメールの使用を呼びかけていた記憶がある。

携帯電話はライフラインであるという
<気づき>をこのキャッチコピーが教えてくれる。

それを機能ではなく、<あなたの無事を待つ人>と
情緒的に表現したところに、私は!となったのだ。

そして忘れかけていた、いまだ地震被害と大雪に苦しむ
新潟の被災地を思い出した。本当に人間は忘れやすい。

広告もいろいろ

広告担当.comというサイトの掲示版で、広告は販促のみに効果的で、イメージアップ,ブランディングのための広告は必要ないのか?という質問を見かけた。

広告は、販促にも機能するし、イメージアップ、ブランドにも機能する。反対に、上手いPRを行えば、広告を打たなくても、販促効果を高めることも可能である。質問した方の会社がどのような会社か分からないので、一般的な考えしか言えないが。(うまく答えられる方は、答えてあげて。)

この背景には、売上アップにつながらない広告は意味がないという考えがあるのだろうが、私の考えでは、広告はこうあるべきだというものはない。

目的によって、広告をどう機能させるか、それだけである。(否定する方もいると思いますが) 売上アップを目的とさせるなら、それをクリアする広告をめざすし、先日当ブログで紹介したシーチキンの広告のように、ブランドを維持する広告を作りたいのなら、そうするまでだ。

広告はマーケットシェアでなく、(消費者の)マインドシェアに機能しなくていけないと思う方もいるが、それはマーケットシェアに機能させると、表現が面白くなくなるという理由ではなかろうかと思う。

コピーライターとしては、目的はどうあれ、言葉で、いかに人の心を動かすか。
そこに注力する。こうあるべきだという形にはとらわれない。
まぁ己の武道観について「水になること」と言ったブルース・リーの哲学に通じるものがあるな。かなり強引だけど、許してちょ。

私も水のようになって、コピーを考えるのだ。

で、今回の!なコピーは、明らかに目先の利益を目的とした広告のコピーである。

すべて、3,150円で
体験宿泊できます。
しかも朝夕2食付き。
信じられます?


1月26日の日経新聞朝刊で、全15段、紙面一面というやつ。
広告主は、㈱サンダンスリゾート。限定500組で、伊豆、箱根、伊藤など9ヵ所のリゾート施設が体験できるキャンペーンである。

コピーの表現もデザインも面白いというわけでないが、おそらく500名の見込み客集めという目的を考えると、申し分の無い表現だ。

3,150円という部分だけ、文字が大きい。信じられます?という表現の裏には、まずこんな好条件はありませんよという自信もある。 申込先のフリーダイヤルもURLも大きく目立つよう表記されている。

申込の反応を高めるという意味で、セオリーどおりの広告である。広告で新規のお客を集めたい人には、お手本になる事例だ。

面白いとか、好感度とは無縁の広告だが、こういうコピーを考えるのも私は楽しめる。
毎日だと飽きるけど。

貧乏人は相手にしない

チロルチョコの新商品「オトメノ イチゴプリン」が気になってしかたがない。包み紙に描かれてある少女のコメントだ。
可愛いタッチなのだが、言っていることが、乙女チックでなく、強気満々なのだ(例:ほしかったら、うばってみなさいよ)。その一言とイラストのアンバランスが面白い。

さて、今回は!なコピーではなく、コピーについての!な話。

貧乏人を拒絶するコピー

これは取引先の広告代理店の営業マンから聞いた。この営業マンがある不動産会社のチラシ(もしくは広告)を担当した時のことだ。チラシで扱う物件は超高級物件(当然、単位は億)。

それで営業マンはコピーライターにこう注文したそうだ。「貧乏人が読んでも分からない、貧乏人を拒絶するコピーにしてくれ」と。(もしかしたら、広告主からの依頼かもしれないが)

不動産の広告やチラシを見ると分かるが、高級になればなるほど、あまり日常会話で使うことのない言葉が出たり、表現が格調高くなったりする。(例えば「天空から注がれる光が~」とか「至上の歓びを~」とかね)
それでも間取りがどうだとか、機能がどうだとか、物件の仕様について説明はちゃんとする。

ところが、その超高級物件の広告かチラシには、そんな仕様にも触れなくてよいと営業マンはコピーライターに言ったそうだ。

では、どのようなコピーを望んだかというと、その物件のコンセプトを建築哲学を交えながら語るという内容だそうだ。
金持ちしか分からない、金持ちの琴線にしか触れないコピーでなくてはダメなのだそうだ。

貧乏をどう定義するのかはさておき、この貧乏人は相手せずというスタンスに「まぁ貧乏をバカにして!」と不快になる方もいるかもしれないが、ビジネス上、そのスタンスはまったく正しい。

なぜかというと、チラシで見込み客を集めたいのであれば、その段階で客をふるいにかける必要があるからだ。

へたに客を集めすぎて、何十年もローンを組んで家を買うような客や、ひやかし客が沢山きても困るし、いちいち買う気があまりない客を相手にしていると、労力と時間とコストがムダになるからである。

最初から買いたいと思っている、それだけの財力を持っている客だけを集めて、セールスした方が効率がいいからである。なるべくピンポイントで上客を集めたいという考えは正しいのである。

私はそのチラシのコピーを見たことはないが、かなりの金持ち客を集めることができたそうだ。現地販売会では、高級外車がすらりと並んだとのこと。
一部国産車の客もいたのだが、気後れしたのか少し遠くに駐車して、歩いてきたそうだ。(売れ行きも好調で、キャッシュで払う客もいたらしい)

金持ちとはいえない、庶民の心をつかむコピーを考えることは難しくはないが、ミリネオアの心をつかむコピーを、自分ははたして書くことができるのか、挑戦したい気がするわけだが。

マニフェストなキャッチコピー

ああ、驚いた!長崎県で実施した、小中学生を対象とした「生と死」に対する意識調査の結果にだ。

なんと全体の15.4%が「死んだ人が生き返る」と回答。(心の中で生き続けるとか、医学の進歩で可能になるという答もあったのだが)私が小中学生だった頃、周りにそんなことを思っているやつはいなかったがな。

死人がニコニコして生き返ってくる、泣けるホラー映画とやらに、号泣している観客の様子を見て、感動のポイントを間違っていないよねと余計な心配をしていたのだが、この結果を見て、ますます心配になった。生と死のボーダーが無くなりかけている。

今日も生きていることに感謝しながら、
今回の!なコピー。

口臭3日 体臭6日

近所の薬局屋で見たコピー。小さな看板らしきものに、書かれてあった。
全くムダのない、昔のハードボイルド小説のような文体に!ときたのだが、実は3日と6日という言葉に!ときたのだ。

こうした数値をいれたキャッチコピー(もしくはネーミング、タイトル)のことを、<マニフェストなキャッチ>と読んでいる。(そう言っているの私だけだが)

マニフェスト、つまり具体的な数値や目標を入れた政権公約のことだが、キャッチコピーに具体的な数値を入れると、効きが良くなることが多い。

口臭に悩み人にとって、「口臭にお悩みの方はお気軽に。」というよりも「口臭3日」の方が、つかみがいい。口臭の原因は様々だから、3日でどうなるなんてないだろうが、3日で解決できるなら相談してみるかという気持ちになりやすい。

コピーには3日で解決とも完治とも書いていない。しかし、3日でいい方向に向かうのではという期待感はくすぐってくれる。そこがこのコピーのキモである。
無愛想な表現が、かえって自信まんまんな感じを際立てる。

昨年、<コレスケア>というコレステロール値の高い人向けの健康飲料のCMでも、やっぱりマニフェストなキャッチフレーズが使われていた。
たしか、「2週間で、いい予感。(いい実感だったかも)」。これがコレステロール値が気になる私の感情を動かした。

2週間なら試しにやってみるかと思い、薬局屋まで<コレスケア>を見に行った。この時点で、私はこのキャッチによっる、マーケティングにはまっていたのだ。仮に「毎日飲んで、いい予感。」なんてコピーだったら、動かなかっただろうな。この2週間という数値が効いたのだ。

本やメルマガのタイトルでも、こうしたケースは最近増えている。「5分間で変わる~」「1日10分で~」「3分で読める~」「~10の法則」などの表現をよく目にする。いずれも具体的な数値を出すことで、興味をひきやすくしているわけだ。しかもその数値は、簡単にクリアできる数値である。

忙しいなかで、できるならラクしたいというのが人の情である。そこを数値でくすぐることで、心をつかむ。それが<マニフェストなキャッチ>のキモである。

ちょっとコピーライティングの実践的なテクでした。

でも、口臭や体臭の悩みが、3日や6日で本当に解決するのかと信じがたい気もするのだが、政党のマニフェストよりは信用できそうである。
ごめんね、小泉くん。

税のはなしをしよう。

風邪気味なので本日は手短に。

ということで、今回の!なコピー。

税のはなしをしよう。

車内広告で目にとまった、財務省の広告
丁度今朝の新聞で、2005年度の国民負担率(所得税と社会保障費の割合)が上昇の記事をみていたのでタイムリー。(ちなみに財政赤字分を加えると来年度は44.8%となる)

残念ながら、このコピーに良い意味で!となったわけでない。これだけ税のアップなどのニュースが流れ、年金問題は依然解決しない、国民の不安が増大しているこの時にこの言い方、カチン!とくる。

だいたい、このコピーは税の話をするよと言いたいのか、一緒に税の話をしましょうと言いたいのか、分かりにくい。日本の財務状況の危うさを伝えたいのだろうが、それを伝えて、国民にどうしてもらいたいのか。それが分からない。

下のほうに「ますます進む少子・高齢化、税のあり方についても考えてください」と書いてあるが、考えて欲しいのは役所だろう!と突っ込みたくなる。

もし、税の話をするから聞いてくれというスタンスならば、相変わらず国民を見下している。

〆のコピーは、「いろいろ考えようよ。税のこと。」
…笑ってしまう。これは国民ではなく、社会保険庁に伝えるべきコピーだろうよ。

財務省をヤリ玉にあげるつもりはないが、こののん気で、国民のマインドをつかまない、えらそうな広告に共感はできない。思いやりが欠けている。
反省しない人間とは仲良くなれない、まず無駄遣いしてごめんなさいという広告を出して欲しい。

僕はアーモンド。

今朝電車の中吊りで、女性週刊誌の広告を見てると、見出しに「見せ乳首」なる言葉が飛び込む。すわっ、またNIKITAか!と反応したがそうではないらしい。
調べてみると、乳首のカタチをしたシールのようなものということだ。タレントのインリン・オブ・ジョイトイ、テニスのシャラポワ選手も愛用だとか。そのうちコンタクトみたいにカラーバリエーションが出たりして。

こんなものが流行る(かもしれない)世の中だから、性犯罪が減らないのだ。
見せ乳首ならぬ、ニセ乳首と、きっとすでに誰かが、言ってるであろうオヤジギャグをかまして…

今回の!なコピー。

僕はアーモンド。

昨年の暮れごろに車内広告で見て、昨日もCMで見た。ロッテのアーモンドチョコの広告。タレントはあのぺ・ヨンジュン、私はぺ君と呼んでいる。

このコピーを見た時に思った。“なんて横着な!”
どのくらい横着かというと、サッカーで、守備をしないで前線でボールが来るのをひたすら待っているフォワード並だ。(確実にゴールを決める強力な自信と、他プレーヤーからの絶大な信頼がないかぎりあり得ない)

マーケテイング上強力なブランドである、ぺ君にしか成立しないキャッチコピーである。他のキャラクターでは使えないコピーだ。それが横着だと思った理由である。
あのベッカムでも2年前ならともかく、今ではきついなと思う。子供向き商品であれば、ドラエモンくらいか。

キャッチコピーひとつで、マインドを動かそうなどというもくろみは、ここにはない。ぺ君がアーモンドチョコを食べて「おいしい」と言うだけで完成されているのだ。

別になくてもいいのである、このコピーは。CMならともかく、広告の場合、無理して使わなくてもいいのだ。なぜ使う?

SONYのハンディカムのCMでも、ぺ君に「僕はハンディカム」と言わせている。つまり、ぺ君を起用した広告、CMの場合、僕は○○○(商品名)と言わせればいいのである。それだけでファンはその商品を買うかもしれない。
下手にウケをねらって、アーモンドを食べませヨ~等と言わせてはダメなのである。

ぺ君という強力なブランドの前に、この<僕はアーモンド。>というキャッチコピーは、たんなるデザインのパーツでしかない。屍なのである。コピーライターとしては、それが悲しい。

「このチョコ、ヨン様も食べたって。うふふ」と言いながら、
今日もどこかで、オバちゃんたちは、アーモンドをガリガリかじっているのだろうな。

キチンとサカナ。シーチキン

本日、スクラッチくじ1枚(\200)を購入。
で、けずってけずって5等当選(\100)!
今週はこのように幸先よいスタートになりますように。

今回の!なコピー。

キチンとサカナ。シーチキン

昨年の暮れあたりに展開していた、「シーチキン」のシリーズ広告
昨日の日経新聞の「広告の風景」<12月の広告から>で、ブランドの存在感の滲む広告の好例のひとつとして取り上げられていた。

メインのキャッチコピーは、各回で違うのだが、「キチンとサカナ。シーチキン」はスローガンのように毎回登場する。コピーライターとしては、このスローガンに!ときた。

表現がとくに面白いというわけではないが、思わず口に出して読んでみたいキャッチコピーという印象を受けた。字面も語呂も親しみやすい。
私は、この広告を見て、「ああ、そうか。サカナだったんだよな」と気づかされた。
以前であれば、身体のためにサカナを食わんとなと思って、買い物に行って食べたいサカナがない場合、あきらめていた。

この広告を見て以来、例え店頭になくても、「ま、同じサカナだし」とシーチキンを買うことにしている。(たまにサンマやイワシも買うけど)
同じマグロやカツオを使った缶詰は他にあるが、選ぶブランドはシーチキン。(それまでは、ブランドにはまったくこだわらなかった)

あまりに浸透しているゆえに、存在感が薄れていたシーチキンというブランドを思い出させ、サカナを食べることの健康面でのアドバンテージを気づかせたい。
おそらく、これがこの広告(そしてキャッチコピー)の目的だろう。自分で言うのはなんだが、このもくろみにまんまとはまってしまった。(同業の知り合いが言うには、なぜかコピーライターは、コピーにひっかかりやすいらしい)

著名なマーケティングのコンサルタントであるアル・ライズは、「ブランドは広告でつくれない」と言う著書の中で、広告はブランドの構築ではなく。維持するために必要だと言っている。

消費者は忘れやすい、消費者に常にそのブランドのポジションを思い出させるためには、広告が有効であることを説いている。(で、ブランド構築には広告は役に立たないとのこと、これは賛否両論あるらしい)

シーチキンというブランドが、どのように構築されたか知らないが、ブランドの維持(思い出させる)という点では、このシリーズ広告は成功していると思う。グッドジョブってやつです。

あれ、おかたい話になっちゃった。

日本人は、うるさい。

先日ダメ出しを喰らい、全部やり直しになった案件だが、クライアントの都合によるものなので、やり直し分はちゃんとギャラに反映させていただけるらしい。あー良かった。
で、今度もダメだったら次はないとクライアントの社長が言ったらしい。え?

さて今回の!なコピー。

日本人は、うるさい。

TVをつけっ放しにして、他の事をしていたら、TVから先のコピーが飛び込んできた。「ニホンジンハ、ウルサーイ!」と。(ナレーションが外国語なまりなのでカタカナ表記)

ああ、あの気になるCMだとTVを見ると、人形浄瑠璃文楽が繰り広げられている。人形がカップで何か飲んでいる様子。そこに「我こそはコーヒーにうるさい、という方は香味焙煎」とナレーションが被さる。さらに「30万名様に当たります」とキャンペーン告知。最後に人形の顔がアップ、眉毛が動いて、きりりとした顔で「うるさいドットjp(urusai.jp)」とナレーション。アドレスが現われる。

これはネスカフェの香味焙煎のCM。今回は商品でなくキャンペーンのCMだ。とにかく興味をひきつけておいて、最後のアドレスに誘導するのが目的だろうから、余計な情報は入れない。キャンペーンCMのお手本のよう。

途中まで何?と興味を継続させるリズムと流れがいい。30万名様!という当選のスケール感も本当?と興味のバロメータを上げてくれる。そして、最後の「うるさいドットjp」というキャンペーン用のアドレス。面白いし憶えやすい。この部分のナレーションだけ文楽の言い回しなので耳に残りやすい。

実は、「日本人は、うるさい。」というフレーズがいやに印象的だったので、このシリーズが香味焙煎のCMだとは今回のキャンペーンCMでようやく知った。
商品CMの時は、ボーとしか観てなかったせいか、コーヒーのCMだったような気はしていたが、商品名まで覚えていなかったのだ。

コピーライターとしては、とにかく冒頭の「日本人は、うるさい。」というコピーに!!となった。広告で使っていた時は、あまり印象に残らなかったのだが、CMのように、外国なまりで「ウルサーイ!」と声を大にして叫ばれると、なぜか可笑しく感情のスイッチがカチリと入る。

同じコピーでも、グラフィックとCMでこうもインパクトが変わるのだから面白い。
演出の妙技だな。

地球上で2番目に上手い店

今日のおやつは、でん六の「お好み甘納豆」。
文章を書くと、どうも脳が甘いものを欲しがる。というのは言い訳で、本当はスイ-ツが好きなのさ。

さて、今回の!なコピー。

地球上で2番目にうまい店

正確に言うと、コピーでなくお店の名前。ネーミングもコピーライターの仕事なので取り上げた。
実は、これを初めて見たのは3年前の年末に帰省した時。とあるラーメン屋さんの前をバスで通りかかった時に、店の名が目に飛び込んだ。
その瞬間、私の感情は???から!!!と猛烈な勢いで地殻変動を起した。そして「ああ…行ってみたい…」という感情が立ち上がったのだ。

この“地球上で2番目にうまい店”というラーメン屋さん、九州の福岡市在住の方や、博多ラーメンに興味のある方には、かなり知られているよう。ネットの掲示版などで取り上げられているのを読んだが、やはりみなさん私と同様にかなりのインパクトを受け「ぜひ行ってみたい」と感じている。

それにしても実に見事なネーミングである。キャッチコピーにしてもいいくらいだ。天才の仕事である。そこが流行っているのかどうかは分からないが、集客力という点では、相当成功しているのではないか。美味しければひいき客も多いだろう。
さしてラーメン好きでもない私も「一度行ってみるか」とか他の人に「知っている?」と言わずにはいられなくなったのだから。

マーケティングの視点から考えると、何より<地球上で2番目>というキラーフレーズが効いている。地球上で2番目にうまい味なんて思わず試したくなるでしょう?
これが1番だとどうか。消費者はNo.1というフレーズに飽き飽きしている。裏づけがあれば違うが、消費マインドをくすぐるのは難しい。

もし1番で不味かったら、クレームをつけることができるが2番目なら、まぁいいかと許してもいい。その不遜なくらいの奥ゆかしさ?が新鮮で興味をそそる。そのくせ地球上という壮大なスケール。とてもラーメンを語るスケールではない。この非常識なセンスがマインドを捉えるのだ。

ところで、私はまだそのラーメン屋さんに行っていない。衝撃を受けて3年も経つのに。今年の正月も行けなかった。
なぜでしょう?それはねぇ…お店が正月休みだからだよん。正月の帰省中には行けないんだよ。