★コピーライターが思わず ! となったコピー。 -6ページ目

強いやつを、倒したくないかい?

ジャイアントキリング。ドクロ
巨大なキリン?ではなく、弱者が強者を
倒すことを言う。
スポーツの報道、とりわけ番狂わせの試合結果を
伝える時によく使われる言葉だ。
 
先日、サッカーW杯予選で、日本がバーレーンに
へたれな負けっぷりをさらした際、
翌日の新聞にはGIANT KILLERS!
という見出しが躍っていたことをネットの記事で読んだ。
アジアの中では、日本はジャイアントらしい
(うん分かった、誇りを持とう)。
 
小説「華麗なる一族」の主人公、
いつも野心でギラギラの万俵大介が
口癖のように言っていた言葉、
小が大を喰う。これも気持ちは、
ジャイアントキリングだね。
 
弱者が強者に勝った時、よく運が良かった
とか、偶然が味方をしたとか表層的に
結果だけに焦点を当てられることが多い。
 
歴史上の出来事からスポーツの試合まで、
色々なジャイアントキリングの
原因を追究すると、勝つべくして勝った、
負けるべくして負けたと、それが理に
かなった結果だと分かることが
案外多いと聞く。結果には原因があるのだ
(日本はバーレーンに負けるべくして負けたのだよ)
 
最近読んだ「4-2-3-1 サッカーを戦術から理解する」
という本では、数々のジャイアントキリングが
検証されているが、その中で著者は言う。
番狂わせは、弱者の工夫なしには
生まれない
」(なんと希望のわく言葉)

 
ここでいう弱者の工夫とは、システム戦術のこと。

多くの番狂わせ、大逆転劇が見事な

システム戦術によって生まれたのだとか。
 
では弱者の工夫とは、僕の携わる
広告業界でいうとどんなことだろう。
コピーライターの仲畑貴志さんは、
実に的を得たことを仰っている。
 
ライバル企業が10枚のポスターを

掲出したら、その横に5枚のポスター

を貼って勝つ、そのための知恵や

工夫のことなのだ」と、
広告のクリエイティブという、
言葉面はいいが、なんだかよく分からない
いい加減な言葉をこう定義してくれた。見事!

 
広告の表現においても
トップシェアやパワーブランドでない
弱者がそれらに一泡吹かせるには、
それなりの戦術が必要なのだ。
上にいるライバルと同じような
ことをしてもダメだってことだね。
次のコピーも、いかにもジャイアント
キリング狙いのような表現かなー。
 
 
★今回のビックリマークなコピー。
 
 
腐る化粧品。

 
 
ナチュラピュリファイ化粧品CM

(音が出るので気をつけて)より。

ある午後の昼下がり、ふいに耳に入ってきた
くさ~る♪くさ~る♪というヒーリングヴォイス。
その声は、天からではなくテレビから聞こえた。
 
え、いま腐るっていった?と空耳を疑いながら
テレビを見るとヴォイスはすでに消え、画面には
検索窓。そこに上のコピーが表れたのだ。
 
腐る化粧品?カンの良い人はピンとくる
かもしれないし、じっくり考えれば意図する
ことが分かるかもしれない。
しかし、広告のコピーにそこまで時間や

労力をかけるほどみなヒマではない。
 
真相を知るためにすぐに検索して
腐る化粧品の正体を探る。

そこで分かった驚愕の事実!!!とは…

ともったいぶるほどのことではない。
腐る化粧品とは、合成防腐剤を一切使用して
いない(だから腐る)、天然成分にこだわった
化粧品という意味なのだ。
 
なるほど。理にかなっている説明だ。
かなってはいるが、化粧品に腐るという
ネガティブな言葉を組み合わせた
表現はなかなか勇気がある。
 
大手ブランドだと、ちょっと躊躇しそうだ。
提案してもOKが降りにくいのではないか。
でも、天然成分にこだわるからといって
よくあるナチュラルなピュアなイメージの
言葉やビジュアルだと気を引きにくいし、
弱小ブランドだと無視されるリスクは大きい。

 
でもジャイアントキリングを狙いたい(と推測)。
まずは注目させたい。その一点にしぼったのだろう。
腐る化粧品はそんな思いから生まれたのだと思う。
 
表現のみに注目すれば、大胆と感じる
かもしれないし、意味が分かれば、
スゴイ表現というほどでもないのでは
と思うかもしれない。

 
いやいや、コロンブスの卵のように

案外気づかないもんです。
防腐剤を使わない→腐るという発想。
 
このように
言葉やその意味を別の同じ意味の
言葉に置き換え
たり、ネガポジ反転させたり
すると、意味や表現そのものが強調され
キャッチ力のある表現になる場合がある。
 
そう考えると腐る化粧品とは、奇抜な表現なのに
伝えたいことはきわめて真っ当。
これはもうアイデアの勝利、まさに弱者の工夫だね。
 
商品が良いものであるなら、クリエイティブ
とやらで番狂わせを起こすことができる。痛快だ。

 
いっちょ狙おうぜ、ジャイアントキリング。パンチ!

 

そこは、エロ目線から考えるのです。

み、見えちゃうよ!安室奈美恵が

超ミニスカドレスで、CM曲初披露
これは、ちょっと前にネットで見たニュースのヘッドライン。
どうですか?安室ちゃんのファンでなくても、思わず期待して
クリックしたくなりますよね。特に男子は。ラブラブ!
 
この場合「み、見えちゃうよ!」というフレーズが
超ミニスカという状態を強調しているわけ。
このフレーズがないと、期待度も低くなる。
「臭い」と「死ぬほど臭い」との違いみたいなもの。
受けてのあいまいなイメージをどこまで
くっきりさせるかで反応も違ってくる。
 
もうひとつ。
A:オセロ・中島の魔よけヌード
B:オセロ・中島が“手ブラ”ヌードを披露

これも、ネットのニュースのヘッドライン。
同じニュースでも、新聞など媒体によって違う。
 
Bのほうが具体的ですね。
魔よけヌードより、手ブラヌードのほうが
見たくなる。特に男子は。
脳裏にニュウっと手ブラがちらつきますから。
思わずクリックしたくなりますから。ドキドキ
 
ネットの広告やニュースの
見出しを見るにつけ、
思わせぶりな、好奇心をそそるような
その先を知りたくなる
ような表現、
瞬時にイメージできるような表現
これら2通りの表現はよく使われるだけ

あって効果的のようだ。
 
コピーも同じで、伝えたいことの
焦点をくっきりさせて、受けてのイメージを
最大化
させるというのは大切。
 
ま、手ブラの話も出たということで、
ブラネタを…
 
 
★今回のビックリマークなコピー。
 
 
(あなたは横から見られることが多い)
 
ヨコムネで選びませう。

 
 
ワコールのラランというブラジャーのCM より。

(音が出るので気をつけませう)
寄せて上げて前に出るから、ヨコから見たときの
バストシルエットが美しく見えるのが特長だそう。
 
このコピーも商品の特長を、商品選びのポイント
として示すアプローチだ。選びませうと言っているくらいだし。
 
ただし、コピーだけではなぜそのポイントで

選ぶべきなのかいまいち分からない。
そこで、(あなたは~)のナレーションである。
ヨコから見られることが多いという事実が
商品選びの理由として示されている
ことで
ヨコムネで選ぶことに説得力が出てくる。
 
自分を見るときはほとんど正面アングルで

平面的だが、見られる立場だとヨコから見られる
ことが多いという、案外気づきにくい事実(ナレーション部分)
とコピー(ヨコムネ~)がうまく相乗しているのだ。
 
商品の特長を商品選びとして提案する表現は
よく使われるが、そこになぜそうなのか理由になる
事実や真理を添えると、説得力はさらに強調
される
ということだね。
商品選びのポイントがイメージしにくい場合は
あった方がよいかなと。
 
また「バストは意外とヨコから見られることが多い」

なんて理由の部分だけを示して、商品の必要性に

気づかせるのもアプローチとしてもあり。
ネット広告だとこういう表現のほうが、レスポンスが
良さそうな気がする。

 
ところで、ヨコムネという言葉。
男子(またはグラビア)が言うと、ヨコ乳になります。

やらしさが増幅され、これはこれで反応しちゃいます。

いっきに脳内がエロ目線になります。
 
 
ところで話は変わる。
男子といえば、先日のサッカー男子日本代表の試合、
目先の勝ち負けに一喜一憂することはないにしても、
あのやる気のない中間管理職のような戦いぶりに
ガックリし、何が起きているのだろうと心配になった。
 
オシムさんが命削って築いてきたフォーミュラを、
木っ端微塵にするほど、日本はサッカー先進国だっけ。
本当にどうしたんだろう。
当分、ロッカールームに昨年オシムさんの放った怒号を
掲げてほしいもんです。監督も選手のみなさんも
どげんかしてほしいデス!
 
お前らアマチュアか。おれはプロだ。
死ぬ気でこの試合に臨んでいた。
お前らにその気持ちはあったか?
(2007年アジアカップでカタールに引き分けた後、
控室で選手を怒鳴り散らした言葉)
 

宝は、自分の中にある。

十人十色だから、面白いのに。
似たものや模倣ばかりではつまらない。
世の中、大きな格差が不安になる一方で、
いろんな部分で均一化も進んでおり、
良いこともあるけど個性というか持ち味が
見えにくいようでそこは気になる。
 
そんな話と関係するが、
愛媛県今治のタオル産業の再生を追った
番組を観た。佐藤可士和さんが関わっている
プロジェクトなんだけど、リサーチし終えた
佐藤さんは再生の方向性をこう示した。
他から無いものを持ってくるのではなく、
元々あるものを使っていこうと。磨いて
良さを作っていこうと

 
後でヒット商品を生み出すことになるから
正しい決断だったけど、タオルメーカーの方々は
はじめはどうもピンと来ていなかった。
気がつかなかったんだね、自分たちの一番の良さが。
そこを忘れて、上辺だけの新しさばかりに
目がいって迷走していたようで。
 
それで思い出す。
たしかオシム前監督も代表監督の就任当初に
同じことを言っていた。
日本サッカーの日本化。
 

さらに「模倣はどこまでいっても、単なる模倣にすぎず、
それは日本人が本来持っているものを引き出すことを
邪魔し、あるいは失わせてしまうことにもなる」国際化

ということに対してそう語っている。さらに
「日本人がオリジナルなものになるには、
自分たちが
持っている特質が何かを見極め、それを試していか
なければならない
」機敏性や流動性という日本人

プレーヤーの特性を生かしたサッカーを目指したんだね。

それが日本化。

以上、著書『日本人よ!』より。
 
競争戦略論の権威というマイケル・ポーター博士が
ベスト企業になるには、他社と同じことをより
よくやるというアプローチでなく、他社がマネできない
ユニークなポジションを築け
と言っているのを最近
新聞記事で見かけた。
「これはやるがあれはやらない」という選択がポイント
なんだそう。
 
うん、みなさん同じことを言っておる。
昔から言われているようなことだけど、
情報過多な世の中に生きているけど、
忘れてしまいせん?
 
 
★今回のビックリマークなコピー。
 
 
ボロボロにしてほしいので、
しっかりしたものをつくってきました。

 
 
研究社の辞書の広告より。同社は昨年、
創業100周年を迎えたそうで、その報告を
兼ねた企業広告にして商品広告。
よい商品広告はよい企業広告であると
良く言われるがその通りだと思う。
抽象的なビジュアルやメッセージ、
トップとの対談の記事広告よりも
その企業のことがよく伝わる。
 
ところで、面白いと感じたのは
辞書の広告らしくない点。
特定の辞書でないからかもしれないが、
普通だと、収録した語数の規模や
記述の確かさ、例文が多いとか
解説が詳細だとかコンテンツの質に
言及しそうだけど、優れた耐久性を
訴求したのを見るのは初めて。
 
確かに、自分の辞書の大半は背表紙が
外れかかっていたりと、けっこうボロボロで
使いづらいんだよね。
辞書を選ぶ際は、コンテンツの質に
目がいくけど、案外製本や装丁の質も
重要だと痛感。それで辞書選びしたことは
これまで無かった。
 
他社の辞書もそれなりに気を使っているはずだけど、
この広告によって、研究社の辞書は丈夫という
認識が僕の中にできた。競
合商品が言って
いないだけに、その印象は鮮やかで結果として
それが差別化になってくる

 
人間の限りある、それも頼りないくらいの
記憶領域の一角を速やかに占領
するのは
マーケティングの常套手段、ポジショニング
といわれるやつ。“マーケティングは商品
ではなく知覚をめぐる戦い”
ということだ。
一度貼られたレッテルは強い。人も商品も。
(つまりヤンキー先生は、死ぬまでヤンキー先生
なんだろうな)
 
コンテンツの質に大きな違いがなければ、
つくりが丈夫な研究社の方を選ぼうという
辞書選びの際に、有利な状況も作れる。
いかに一番乗りで良いレッテルを
貼ってもらえるか(それも差別化につながる)
は大事なこと。
 
冒頭で話したユニークなポジション、
オリジナリティ、自らの強みで勝負する
ということと重なりますね。
磨いて強みになる長所を芽生えさせたり、
見つけるっていうのは、やはり大切なことだが、
そういうのは自分よりも周りの人など他人の
力も
必要なんだね。
 

その未来はバラ色か、鉛色か。

一時更新が止まっていましたが、その間に
ぺタしてくれた方、読者登録してくれた方、
アクセスしてくれた方、ありがとうございます。
ではボチボチいきます。
 
予言者と預言者。同じ「よげんしゃ」と読むのに意味はちがう。
予言者は未来を予測するものであり、預言者は神の言葉を預かり
それを人々へ警告する
者である。
高校時代、世界史のテストでモーゼを予言者と表記し
減点されたことがあるが、モーゼもマホメットも預言者である。
 
霊感商法等でインチキくさい神託を並べる、インチキ教祖も
一種の預言者である。霊感商法と一緒にされるのは
迷惑な話だが、まぁコピーライターも広告主という
現人神?のような存在の言葉を伝えるという意味では
預言者である。おまけに広告は時として予言の書のようでもある。
 
なにせ、テレビや新聞やネットなどで

この商品を買わないと~きっとあなたの暮らしは~

と煽ったり脅したりするのだ。
どこか預言者、予言者のすることと

似通っているでしょ。
時として誇大広告とかインチキとか世間から

ひんしゅくを買うとこまで似ているし。
 
とは言え、今日もまたたくさんの広告が
世の中へ様々な予言をまきちらしている。
どこかであなたの未来が予測されているのだ
信じる信じないは勝手として…
 
 
★今回のビックリマークなコピー。
 
 
定年を迎えるころ、住宅も定年も迎える。
これでは豊かな老後は望めない。
 
 
ロングライフ住宅ということ。
30年の住宅ローンが終わった後も、
まだ資産価値が十分残っている家であること。

 
 
旭化成ホームズ<ロングライフ住宅>の広告より。
まるでご神託のような言い様である。
商品を手に入れる場合、入れない場合の
未来が示されているのだ。
 
商品の価値を伝える際、おおまかに2つのアプローチがある。
ひとつは、その商品を手に入れることで得られる良いこと
言うことと、もうひとつはその商品を手に入れないことの
デメリットやリスク
を言うことである。
 
商品価値を伝えるにしても
ポジティブに伝えるか、ネガティブに伝えるかで
表現も変わってくるというお手本である。
この広告の場合は、ネガティブな表現の
コピーである「定年を~」が最初にあり、
ポジティブな表現の「ロングライフ住宅~」が
締めとして載っている。
その間に説得力のあるボディコピーがある。
 
ポジティブかネガティブか、どちらが効果的なのか
については商品によって異なるが、ネガティブのほうが
ポジティブに比べ強く必要性を感じさせるとか、
モアベターにしてくれる商品にはポジティブのほうが
良いなどの定説はある。
しかしこれはテストを行ってみないと分からない。
 
考えてみれば、われわれは未来よりも目先のことばかりに
とらわれて日々を送ることの方が多く、またいろんな考え事や
問題をたくさん抱えて生きている。
いきなりこの商品はすばらしいですぞと言われたところで
ピンとこないものである。
 
それゆえに、広告において未来を予測してあげて
見込み客の想像を補助して鮮明にしてあげる

ことが大切なのである。
(もちろんそこには商品を選んでもらうという

ミッションがあるわけだが)
 
今日もあちらこちらで広告という名の予言の書が
目に飛び込んでくる。そしてその影でコピーライターという
預言者が跋扈しているのだ。

まぁボクもその一人なんですが。
 
あなたの退職金は14年で底をつくかもしれない?
 
とは新生銀行の広告、怖いこと予言しますな。
この問題の対策を新生銀行は持っています。
と後に続くからいいが、
この壺があなたの退職金を増やします」と
なると霊感商法の常套句に。
やばい、やばい。
 

そこで、やり手弁護士から学ぶ。

なるほどね、コピーライターは弁護士のようで
なければいけないのか。
 
アメリカの法廷ドラマや映画を観ながら、
そう思ったことがある。(ラブコメの
「アリーmy love」ですらそう感じた)
それで、コピーライティングと共通
するものがあるんじゃないかと思ったのが、
弁護士による最終弁論の説得

 
法廷のシーンで、公判の終わりに弁護士と
検事がそれぞれ陪審員に向かって語るのを
観たことがあると思うが、あれが最終弁論である。
いわば弁護側、検察側の総仕上げ。
評決に大きく影響するのだ。
 
弁護士は、依頼人である被告に
有利な評決を持ち込むために、
陪審員を説得するのだが、その説得
を聞いていると、まるで広告や
セールスレターのような言い草
なのだ。
 
乱暴に言えば、検事は法律に
のっとり有罪であることを説得する。
あくまで法の下での判断を望み
被告への同情を許さないような弁論を繰り広げる。

 
「たしかに被告の状況に同情するところは
あります。しかし被告はこともあろうに、
殺人という冷酷な方法で解決したのです。
これを許すことは個人による残酷な復讐を~」
なんて感じで。
 
一方で弁護士ははなから不利な状況を
覆すために、検事とは違った視点や判断基準を
示しながら説得していく。時としてそこまで言いますか
と詭弁とも言えるような説得をしながら、陪審員の
心をぐらつかせる。感情に訴える。

 
「これを復讐という言葉でかたづけてしまって
いいのでしょうか。もしこれを復讐殺人という単純な視点で
裁くことになれば、この国の正義は、そして良心はどこに
消えてしまったのでしょうか。そんな世界にすることを
みなさんは許してしまうのですか。これはみなさんにも
起こりえることなのです。いまみなさんの良心が
問われてるのです~」なんて感じで感情をゆさぶるのだ。
 
そんな最終弁論シーンをまるで陪審員になったような
気持ちで観ていると、心が動く自分に気づくなんてこと
ありません?
さまざまな視点、判断基準を示しながら説得するさまは
さすがは訴訟大国にして広告先進国の説得術だなと思う。
 
状況は違えど、陪審員に対するアプローチは、お客への
それと同じような気がした。広告でやっていることと
共通するものがあると思ったのだ。
むろんドラマや映画というフィクションの話だけど。
 
価格の高さに躊躇するお客に対して、
「本当にこの価格は高いのでしょうか。価値をご理解した上で
分かってそう思っているのでしょうか~」と説得することと
なんら違いはない。そう思ってしまうわけなんです。
 
 
★今回のビックリマークなコピー。
 
 
へーベルハウスは高い買い物でしたか。

 
 
へーベルハウス(旭化成ホームズ)のCM より。

ここで注目したいのは価値と価格。何度か言ってきたけど、
価値>価格ということを納得させれば、お客さんの気持ちを
買う方向へ向かわせる
ことが可能だということ。
10,000円というお金は10,000円以上でも以下でもないが、
それが商品の価格になってくると、同じ10,000円でも
割高である、お値打ちである、妥当であると
様々な価値が出現する。
 
このへーベルハウスのCMを観てみると、
どうやらお客には高いという印象があるようだ。
しかし、購入者の声(ナレーション)は
価格でなくその価値について語っており
へーベルハウスは高い買い物ではなく

価格にふさわしい、あるいは安い

買い物であると伝える。

 

ナレーション①(CMより)

高いから、これに決めたっていうところが。
すごく心配性なんですね。
仕事大変だし、子供小さいし、家のローン返しながら
またメンテナンスにお金ってつらいし。
家だけは絶対安心したかったんです。
私にとってこれは安心の値段です。

 
ナレーション②(CMより)

妻は反対したんです。
「もっと安くておしゃれな家があるのにね」って。
強引に私が決めました。30年前のことです。
この家で下のが産まれて嫁に行って・・・。
今は妻と2人です。
30年分の思い出の値段。
妻は「絶対安かった」と言ってます。
私はちょうどいい値段だったんじゃないかと

思ってます。
 
どうでしょうか。同じことでも売り手視点
で語られるより、お客の立場でのメッセージと
いうことで、すんなりと価格優先以外の
選択基準にすんなり気づかせてくれる。

お客の視点で語ることは、共感を得やすい
 
世の中で、最近の消費者は賢いなんて
言うけれど、買い物をする際は意外とあやふやな
感じで決めたりすることも多いし、選択肢が多いと
選べなかったりする。
 
広告は巧みにそこを突く。
価格の高さを高いと思わせないよう、
価値という別の視点を示しながら商品を伝えていく

(もちろんデータを偽装したり、嘘をついては
いけない)それこそやり手弁護士のように。
 
このCMのように価格優先を価値優先に
仕向けるのだ
。分かりやすい言い方をするならば、
お値打ち、お得であることを感じさせる。
つまりそれは価値(価値>価格)に気づかせるということ。
弁護士もコピーライターも説得のシナリオこそ
一番の頭の使いどころだ。それはもうフルスロットで。

 
たとえば宝石がある。
価格の高さに躊躇するお客に
「これでも安い、お値打ちですよ」と
価値を示さないトーク。
「娘さんやお孫さんの代までもゆずっていける、
自分が残せる財産にもなりますよ」と
価値を伝えるトーク。
どちらが心を動かせるだろうか。
 
法廷ドラマで、はじめて最終弁論を行う
弁護士に先輩がアドバイスをこう送る。
「まずはじめに陪審員の関心をつかめ。
物語(エピソード)を語れ。なんでもいい。
そして(弁論に)こじつけろ」
ん、これって広告のアプローチと一緒ですね。
(こじつけはしませんけど)

 

さよならを言うとき、人は詩人になる。

今回は、コピーや広告づくりの役に立つ話ではなく、
ちょっとしたウンチクのようなヨタ話で。
 
ようやく最近になって、放っておいた
「ロング・グッドバイ(原題:The Long Goodbye)」の
ページをパラパラとめくりはじめた。この名作は
村上春樹さんによって久しぶりに翻訳され、ちょっと
話題になった。作者であるレイモンド・チャンドラー
のあの文体が、いまや世界の村上の手によって
どのように生まれ変わるのかが注目されたのだ。
それまで(50年間くらい)唯一早川書房刊の
「長いお別れ」しか「The Long Goodbye」の
翻訳はなかった。
 
村上さんの長いあとがきによると、それまでの
清水俊二さんの翻訳はかなりの文章や細部が省かれて
いるそうで、村上さんは再訳に当たって原文に
忠実に完訳版
をめざしたらしい。
 
読んだことがある方なら分かるだろうが、
チャンドラーの文章は魅力的である。
だから、何度でも味わいたくなる。
小説家をはじめ多くの物書きを生業とする人々に
影響を与えている(はず)というのも納得。
でも下手に真似しようとすると、自分の筆力の
なさを露呈させるのでうまく取り込めない。
それほど完成された文体だと思う。
 
チャンドラーの文体の特徴というと、
やっぱり細部の描写力や比ゆの多用、あと登場人物
(特にフィリップマーロウ)たちの皮肉や
ユーモアのある会話
でしょうか。
 
「さよならを言うのは、少しだけ死ぬことだ」とか
「しっかりしていなかったら、生きていられない。
やさしくなれなかったら、生きてる資格がない」
など
とかく名言集の作りやすい文章をたくさん生んだ作家だ。

 
探偵家業について「この仕事から好奇心を除いたら、
何も残らない。しかし、正直なところ、私は一ヶ月、
仕事をしていない。金にならない仕事でも、仕事が
ないよりはましなのだった」
とフリーのコピー
ライターの気持ちを代弁するかのようなトホホな
名言もあったりもする。
 
「長いお別れ」の中にも名言はいくつも登場するのだが、
その中で僕がいちばん好きなのは、バーについてのテリー
レノックスが語る言葉。
この男、ろくでなしのわりに洒落たことを言う。
実は、2年前のエントリー「こんなバーで、飲んでみたい。」
でもこの言葉を紹介したのだが、村上バージョンでは
どう変わったのか。興味があったので再びページを繰ってみると…

 
 
★今回のビックリマークコピー文章。
 
 
夕方、開店したばかりのバーが好きだ。
店の中の空気もまだ涼しくきれいで、
すべてが輝いている。
バーテンダーは鏡の前に立ち、最後の身繕いを
している。ネクタイが曲がっていないか、
髪に乱れがないか。
バーの背に並んでいる清潔な酒瓶や、
まぶしく光るグラスや、そこにある心づもりの
ようなものが僕は好きだ。
バーテンダーがその日の最初のカクテルを作り、
まっさらなコースターに載せる。
隣に小さく折り畳んだナプキンを添える。
その一杯をゆっくり味わうのが好きだ。
しんとしたバーで味わう最初の静かなカクテル―
何ものにも代えがたい

 
 
「ロング・グッドバイ」の34ページより。
「長いお別れ」(33ページ)と比べていかがでしょう。
特に大きな違いはないけれど、村上さんの
翻訳のほうが完訳をめざしているだけに、
清水さんの訳よりも描写がより具体的といった印象。
 
訳の優劣より、原文のすばらしさを
あらためて感じた。
それにしても風景や音といった空間の雰囲気が
とても鮮やかに伝わってくる表現で、夕方5時くらいから
飲みに行きたくなってしまいません?
 
最初の静かなカクテルは、やっぱり小説に
敬意をはらってギムレットでしょ。
ベタな注文で恥ずかしい気もするが、
とりあえずビールではいけないような気もする。

 
前に洋酒のCMのナレーションのようだと言ったのは、
欲望に火をつけるような力のある、つまり
イメージを
具体的に、そして強調する
ようなところが、

まるでコピーのように思えたから。
 
ところで女性には冷たく、男には過剰とも
思える友情を抱く主人公の探偵マーロウについて、
ある評論家は同性愛の影を感じると言っていたが、
なかなか鋭い指摘だと思う。
そういえばチャンドラーは、マーロウを俳優で
例えればケーリー・グラントに近いと言ったと
言われているが、グラントは死後バイセクシュアル
だと暴露
されている。なんだかありえる話。
 
それで、この「ロンググッドバイ」は1973年に
映画化
されている。2年前に紹介したときは、
DVD化されていなかったのだがその後めでたく実現。
原作に思い入れのある人は否定的なようだが、
カルトクラシックでもないこの映画を
好きな人は多いようで、僕も好きで何度も観ている。

 
探偵マーロウが事件を解決するというよりも、
事件が勝手に解決してしまうというユルイ展開なのに。
でも、原作のテーマを壊すような映画のラストの
方が僕は好きなのだ。

 
雰囲気と映像と音楽でついつい…という感じなのだ。
にしゃれたメインテーマが、スーパーのBGMとして、

劇中ラジオで、バーでピアノの弾き語りでと

様々なバージョンで流れるアイデアが面白かった。
でも興行的には大コケ、当時は酷評もされたとか。
にもかかわらずファンが多いヘンな作品。

 
この映画のラストのセリフについて、
「長いお別れ」のあとがきで清水さんは、

マーロウのセリフ「I lost my cat,too.

(君のおかげでネコまで失ったぞ)」
が台本で「cat」が「hat」になっているのを発見

したそうだが、実はこのセリフ、DVD版でも

確認したが訳されていない。
(でも劇中ではcatとちゃんと言っている)

 
これは冒頭登場するマーロウの飼いネコ(とてもいい味を
出している。原作にはネコは出てこない。)
のことを言っているのだが、途中でいなくなってしまう。
ラスト、友情も信頼もネコまでも失ったマーロウの心情を
あらわしたセリフ
なのに。翻訳していないなんて残念。
 
ところで風変わりな「第三の男」のような
映画「ロンググッドバイ」を撮ったのが
昨年なくなった巨匠ロバートアルトマン
80年代は不遇をかこっていたが、70年代の作品は
冴えていたし、90年代はみごと復活しカンヌや
ヴェネチアでも受賞したものだ。
その受賞作に「ショートカッツ」という群像劇

があるが、この原作がレイモンド・カーヴァー

というアメリカの小説家だ。そして、カーヴァーの

作品を翻訳したのがなんと村上春樹さん。
 
どうです?特にたいした意味はないけれど、ここで
村上春樹さん、二人のレイモンド、そしてロバート・
アルトマンがひとつの線で結ばれたわけだ

アルトマンが生きていて、村上さんの作品を

映画化となればちょっと面白かったのに。
「ノルウェーの森」以来、村上作品を読んで

いない僕が言うのも何だが。
 
説「ロンググッドバイ」には、さよならという
言葉が最後のほうに印象深い言い方で

いくつか出てくるのだが、
日本の歌にも、いい表現があったね。

 
さよならは別れの言葉じゃなくて、
再び逢うまでの遠い約束

(夢の途中/作詞来生えつこ)
 
さよならを言うとき、人は詩人になる?
 
ロンググッドバイ劇場予告編
テーマ曲がいいです。

ワシに見せても、意味なし。

ところでそのポスター、ワシにでも見せるつもりかね?
いいデザインだと褒めた後に上司はそう言った。
「ワシ?どういうことですか」意味が分からない
グラフィックデザイナーは真意をたずねる。
 
上司は質問する前に考えろと
いわんばかりに1拍おいてこたえた。
「ワシだけじゃない、タカもだな。猛禽類のこと」
なんだ鳥の話か。だがどういう意味かますます
分からなくなった。困った表情に応えるように
上司は続ける。
 
「コピーが小さい。間近でみれば見えるが、
数メートルも離れるとコピーが見えない。人には無理。
人の8倍も視力のあるワシやタカなら見えるだろうけど」
鳥目だとバカにしてはいけない。猛禽類ははるか上空から
ねずみなどの小動物を捕捉することのできる、高性能
スコープ搭載のハンターなのだ。
 
なんて回りくどい、あんたはオシム監督か。
痛いところを突かれたことよりも、理解させるのに
手間をかけるその言い方にムッとしながら、

「普通に言えよ」とデザイナーは返した。

むろん心の中で。
 
看板など屋外広告やポスターなど見ていると、
時々、見たときの距離を無視した文字の大きさを
見かける
。ビジュアルを目立たせたいという
気持ちは分かるが、読ませたい、伝えたい
メッセージが見てもらえないのでは意味がないよ。
 
あるデザイナーは、屋外広告のデザインを
作る際に、原寸と離れて見たときに実際に
見えるサイズの2通り
を作る。

距離によって見え方が変わるからだ。

 
また、あるデザイナーは新聞広告の
デザイン案を出す際に、実際に新聞にはめこんで
見せる。たとえば五段スペースであれば、
残り10段は記事にするとか。

 
言われてみれば当たり前のことだが、
実際に読み手にどういう状況でどう見えるか、
そこまで気を使うかどうかは、
思いやりという想像力の有無と関係するのでは
ないかと思っている。
つまるところ、それってコミュニケーション。
広告にも思いやりを。
 
 
★今回のビックリマークなコピー。
 
 
「よく読んでください」って
言われるんですけど、
まず読めるようにしてください。

 
 
東京海上日動の広告より。
今まで分からない、見づらいといわれてきた
書類などの表現や言葉、文字の大きさを
見直すなど、コミュニケーションについての
改善を宣言しているのである。
お客のコトバや気持ちで

語るというのは、共感を誘いやすい
 
とは言え、ようやく分かったのかお客の
気持ちをとあまりに遅い対応に文句も言いたくもなる。
昔から保険や金融商品の広告には
思いやりが欠けてきた。
フライ級の世界チャンピオンの内藤選手の

コメントではないが、ようやく国民の声に

応えはじめたのだろう。

これも社会の風潮が大きく影響している。
 
つい先日も報道されたが、ここ数年生命保険会社、
損害保険会社の保険料の不払い、不当な支払いが
問題になっている。
なぜこうした問題が起きるのか、その理由については
いくつか挙げられているが、その中に広告や商品パンフレット
の説明や表現、表記が不親切、不十分だということが
言われている。
 
昔から本当に大事なことは、小さく書かれてある
いうのは、保険や金融商品の広告の常識だが、
他にも保障内容は大きく表記されているが、
重要な保険期間は小さく表記されているとか、
誰でも入れる=保険料は割高になるなど
読み手を惑わす説明のしかたが多いのが

この業界の特徴だった。
そういえば携帯電話の料金プランも
分かりにくいし、大切なことは欄外に
小さく書いているよね。
 
おりしも今年の9月30日から
「金融商品取引法」が施行された。
外貨預金や変額保険・年金などの金融商品の広告や
販売に規制がかけられたのだ。
元本割れなどのリスク情報や手数料などを正確に
大きく表示
するよう義務づけられるし、販売する時は
リスクなどについて分かりやすく説明する義務があるとのこと。
 
とりあえず良いことばかり言って
得するような印象を与えるというのも
競争の激しい業界を考えれば分からんでもないが、
商品の特性を考えると誠実な広告という
ありそうでなかったアプローチ
もあっても
良いはず。ぜひ実現してほしいものだ。
 
広告はセールスマンでもある。

良いことばかり並べるよりも、
良いことも言うが、リスクもしっかり言う
セールスマンのほうが信頼できません?

 
いくつか保険会社のサイトを見たが、
けっこう文字が小さいサイトが多いのが気になった。
年配者や高齢者が見やすいよう、文字を大きくしたり
大きさの表示切り替えができるよう配慮が
欲しいところ。
 
高齢化社会を考慮したのか、
毎日新聞は12月より記事の文字を今より
一回り大きくするという。
ユーザビリティの次はリーダビリティか。目
広告にもやさしさを。
つまり、思いやりという想像力がラブラブ
広告主にも僕たち制作者にも求められるわけ。
 
 
ところで話は変わる。
昨夜のボクシングのタイトルマッチのことだが、
僕は観ていないので少々残念なのだが、
両手で顔をガードして、手数も少なく大差での
判定負けを喫した挑戦者に
「手が出ません!まさに亀だ!」とか
「亀だけに、手足が引っ込んだままですな」
と実況で言ってくれたのだろうか。
いやいや、言ってないって。だって挑戦者
びいきのTBSだもん。カメ
 

認知度が変われば、表現も。

商品認知度にあわせてどうキャッチコピーを書くか。
その昔通販先進国アメリカで通販の
コピーライターとして多くの実績をもつ
ユージン・シュワルツは認知度を5つの段階に
分けてその段階にふさわしいライティング
を示している。
そこで、ざくっと紹介するね。

1.商品が最高に認知されている段階
お客は商品のことをよく知っており、それを欲しいと思っている。
商品名とバーゲン価格以外に言うことはない
難易度ゼロでらくちん。
 
2.商品(の性能)は少し知られているが、欲しいとは思わない段階
商品への欲求をさらに強化する、商品がどのように満足させるか、
そのイメージを鮮明にする、商品がいつどこで欲求を満足させるか、
そのイメージを拡大する…
さぁアタマ使おう!
 
3.商品の働きは必要とされているが、あなたの商品は知られていない段階
未結晶の欲求をはっきり指摘(ああ、それなら欲しい)、欲求とその
解決をコピーに示す…

考えろ、考えろ!
 
4.商品の必要性は感じているが、あなたの商品がその必要性を
満たすことに気づいていない段階

3の段階と似て問題解決型のコピー。たとえば問題だけを取り上げる、
問題と一緒に解決を並べる…
脳みそをしぼれ、ブドウ糖をチャージだ!
 
5.商品はまったく知られておらず、欲求も必要性もない段階
価格や商品、働きや欲求に触れない、同化欲をかきたて他人事とは
思えないように考えさせる…
問題や欲求への関心を増していく方向へ。
脳みそ、高速フル回転!
 
認知度も変わる、欲求も変わる、トレンドも変わる。
ならば広告も変わるし、コピーだって変わる。
シュワルツは各段階は心理的な壁に隔てられていると言う。
壁の向こうは無関心、一方は強い興味。
段階に
マッチしたコピーを書かなくちゃね。
 
 
★今回のビックリマークなコピー。
 
 
ヨーグルト。いいえケフィアです。

 
 
やずやの千年ケフィアのTVCMより。
千年ケフィアは新商品で、夏ごろからよく
CMがオンエアされているので、観た方も多いと思う。
僕は、ここで初めてケフィアを知った。
にもかかわらず、この商品がなんとなくだが
すぐにイメージできたのは、ヨーグルトを
引き合いに出している
点。
 
もちろんヨーグルトもケフィアも
同じ発酵乳だから似ているのだろうけど、
知らない人にとっては、ヨーグルトを引き合いに
出すことで、ヨーグルトっぽいという印象を
持たせることに機能
しているのだ。
これは分かりやすい。新顔はますは自己紹介から。
 
ヨーグルトのような味なのか、ヘルシーなのか
はっきりとは分からないが、千年ケフィアの
材料に使われているケフィアなるものが
どんなものなのかは想像がつきやすい。
 
たとえば、まだローヤルゼリーが知られていなかった
段階で、「ハチミツ。いいえローヤルゼリー。」
という表現と同じ感じ。
 
「長く愛されてきた貴重な発酵乳、ケフィア。」とか
「体内環境に、ケフィア。」と言うより、
商品を知覚させ関心を持たせることができる。
まず見込み客を選び出す、それで十分。
 
なにせ千年ケフィアは新商品、初めはほとんど
知られていなかったはず、どのような欲求を満たして
くれるのかまだ見込み客は知らない段階なのだ。

 
先にあげたシュワルツによる商品認知度の
段階でいえば、5の商品は知られておらず、
必要ともされていない、認知度ゼロの状態なのだから、
欲求や価格や商品について言う必要はない。
 
ケフィァって何?なんだかヨーグルトっぽい
ようだけど。それは新しい市場が
生まれるとき(=見込み客の期待)。
わずか20字足らずのコピーが、そこと欲求との
間に橋を架ける
。販売戦略に適った巧みなコピーだ。
 
だがそれはテレビ、新聞(ケフィァって何
という記事広告で展開中)
というマス媒体の特性を意識したもの。
同時にネットでは無料サンプルをオファーとした
見込み客の集客
に焦点を当てている。
 
「ヨーグルトが続かなかった女性の方へ。」
「ただのヨーグルトならこれほど驚かなかった。」

この2つはネット広告のコピー。つまり詳細ページへ
リンクする。ここではあくまで見込み客の
アクションを促すための表現に徹した

ネットの特性をふまえた目的と広告表現。
 
ケフィアの啓蒙と、見込み客へのサンプル配布から
生まれる口コミや話題の喚起の二正面作戦
は、
奇抜でもなんでもない、きわめて真っ当な方法だが、
意外にできていないケースは多い。
たとえばメディアも目的も無視した、あるいは
混乱した広告表現とか。あるいは表現がみな一緒とか。
 
ところで、「○○。いいえ○○です。」という
表現はしばしばコピーで使われる。
最近だと、クリーム玄米ブランのCMで
「スイーツ?いいえそれ以上。」というのがあったな。
常識や先入観を否定して、それ以上の価値が
あることを匂わせたり、サプライズを与えて
関心を持たせる
表現。たとえば
「ケータイ。いいえパソコンです。」とか
「電気カミソリ。いいえケータイです」とかね。
ま、ふたつめはサプライズはあるがビミョー。

ノーセンテンス、広告。

戦争。アメリカ。
 
これは2002年に上映された映画
「地獄の黙示録 特別完全版」のコピー。
この前年、同時多発テロが起こり、
その報復としてアメリカが
アフガニスタンを空爆。アメリカが
だんだんときな臭くなった時期。メラメラ
 
そんな記憶が残っていたので、
ポスターでこのコピーを見た時は、
あまりのタイムリー感とこのギリギリに
削ぎ落とされた表現にすばらしい!と
思ったもんだ。
 
はじめは影で支援して、後で先頭をきって
乗り込んでくるあたりは、ベトナムで
やってきたことと似ているね、イラク戦争
でのアメリカ。
 
ところで、センテンスでなく言葉の羅列に
よる文体といえば、ジェイムス・エルロイの
小説「ホワイト・ジャズ」。例えば、
「修羅場=血しぶき、賭け伝票/現ナマの紙吹雪。」
とか「闇/光/痛み―腕に注射、狂ったような至福。」
なんてスラッシュまで入ってくる表現がわんさか。
初めて読んだ時は面くらったが、ちゃんと情景や
心情がヒリヒリと伝わってくるから面白い。
 
さて、コピーはどうだろう。
おや、ありますね。まるで検索してみる?
と言いたげそうにキーワードが並ぶ。
 
 
★今回のビックリマークなコピー。
 
 
たるみ。年齢。ごま。

 
 
サントリーの健康食品セサミンEプラスの広告より。
健康食品の広告というのは、薬事法によって
効果効能を言うことができない
。したがって
コピーもあいまいで、奥歯に物がはさまった
ような表現しかできない。行間から察してね
といった感じになってしまうのだ。だから
広告主も制作者たちもいつも苦労する。
 
このコピーを見たとき、そうした
制限をうまく使っているように感じた。
ごまがたるみを無くしますとか解消
しますなんて効果があるとは言えない。
 
しかし、あえてセンテンスにしないで
無くすとか解消するとか効くという
動詞を入れないで、名詞を羅列。
たるみや年齢という課題のキーワード
ごまという解決のキーワードを並べ、
その関係性を匂わせるというのは、
ひとつのアイデアだと思う。

 
ごまだけに上手いごまかし方だと
言ってしまうそうだ。 
完成したセンテンスからNGとなる
動詞を抜き取る。
残ったのは
キーワードだけというイメージ。

あいまいな動詞を使わない分、

くっきりと伝わる気がしない?
 
まずは効果の期待感を印象
づければいいのだ。あとは
気になった人が、ボディコピーへ
誘導され、商品情報を欲しがる
ように仕向ければいい。
 
これからのネット広告を考えるに
ケータイなどのモバイル端末
の場合、いかに小さな画面の中で、
キラリと効きの良い表現
をするか、
それが求められる。それも1行くらいで。

 
それを考えると、
なにもセンテンスでなくても、
20~25歳、Dカップ以上。
昔の夕刊紙の風俗1行広告のように
相手が知りたい、あるいは気になる
単語を具体的に並べるというのもありだな。
それこそエルロイの文体のような
広告だらけになったりして。
 
そのジェイムス・エルロイの
「アメリカン・タブロイド」を読んだ時
序文の最初の一行に僕はしびれたものだ。
 
アメリカが清らかだったことはかつて一度もない。
 
暗殺。アメリカ。という感じのアメリカ裏現代史、
にふさわしいカッコイイ宣言なのだ。ドクロ
例えばアメリカに差し替えて、他の国や
○○党、○○業界と入れてみてもまんざら
合わないわけではないところがなかなか。

 

白くまは、バロメーター。

この夏、猛暑の日はよく白くまアイス
ばかりを食べていた。(まさに白くま愛すと
いう感じです。オモシロクマ?)
白くまアイスというのは
九州ではおなじみのアイスで、
練乳のかかった氷にミカンやチェリー
などのフルーツ、小豆がトッピング
された氷菓である。(今では九州
以外でも売っています)さくらんぼオレンジ
 
子供のころから時々食べていたが、
カキ氷にフルーツが乗っているという
チープなゴージャス感が子供ごころに
贅沢に感じたものだった。
ひとつ上のアイスって感じでね。
 
なぜ白くまという名称なのか昔から
諸説があるようで、有力なのは白い氷
に小豆やミカンがのった状態が、
白くまの顔に見えるからという説。
 
などは、氷にフルーツという組み
合わせが、動物園の白くまに時々出される
氷のケーキ(フルーツの氷漬け)に
似ているからかなと思っていたんだけど。

そんな説はないもよう。
 
ところで、その白くまに絶滅の危機が迫っている。
ニュースによると米内務省は今月7日、
北極圏に生息するホッキョクグマの
3分の2が2050年までに、地球温暖化による
海氷の減少で死滅
すると予測。

そうだ、白くまを救え!
 
 
★今回のビックリマークなコピー。
 
 
ホッキョクグマを救うスイッチ

 
 
衛星放送協会のCO2削減キャンペーン
「STOP!温暖化」のCM より。
(トップページの右下にあるバナー
「STOP!温暖化」をクリックすると
ご覧になれます)

 
CMで呼びかけているは節電、ご存知のように
電気の消費がCO2排出につながり地球温暖化を
進行させている。
 
CMはこんなコピーが氷の上の
ホッキョクグマ親子の映像(撮影は
野生動物の写真で有名な岩合光昭さん)
の上に出てくるところから始まる。
 
今日、あなたは、ホッキョクグマを苦しめた。
 
いきなり苦しめたねと責められるのだ。
思わず引き込まれてしまう。同時に真相を
知りたくなるから無視できなくなる。
はじめの1行はこうこなくっちゃ。
 
その後CO2の排出が温暖化を促進し、
それがホッキョクグマの絶滅危機を招いて
いることが告げられる。
最後に電気のスイッチを消すシーンで
登場するのが紹介したコピーである。
 
このメッセージが動機づけの点で、
効果的
だと感じたのは、温暖化の阻止
という漠然としたものの焦点を
ホッキョクグマを救うことに転換、
あるいは象徴させることで
鮮明にしている
ことだ。これに
よってもの事のイメージが具体的に
なり分かりやすく
なる。
ピンと来やすくなるのだ
。人はイメージ

しやすくなると行動するのだ。ひらめき電球
 
イメージを明確にする、この場合は
目標がハッキリするから動機づけが
効きやすい。地球環境のためよりも、
ホッキョクグマを救うと言った方が
想像しやすくリアルに感じやすい
それだけに心は動かされやすいはず。
そこにホッキョクグマ親子の映像が
さらに説得力を加えるのだ。

(だってカワイイんだもん、助けなくちゃ

という風に)
 
以前、エイズ検査の促進キャンペーンで
彼氏の元カノの元カレの~」というCMが
あったけど、あのコピーも具体的で
イメージをくっきりさせたおかげで、
強い動機づけができたと思う。
 
さてと「ホッキョクグマを救うスイッチ」
だが、この言葉には節電という行動に
明確な、しかも動機を高めてくれる
目標が盛り込まれており
、「私でも
できそう」「ホッキョクグマのためなら」
という気を起こさせる力はある。
 
このスイッチはなんだろうと考える。
目的は節電でなく(これは手段)、
温暖化の促進の阻止(=ホッキョク
グマを救うこと)につながると考える。

 
「地球を救うスイッチ」や「環境を守る
スイッチ」でも良いけれど、やっぱり
ホッキョクグマの方が説得力や
共感力は強くなる。!!
 
そういえば商品を使うことで得られる
メリットや、商品の必要性を具体的に
言ったり、比ゆを使って言ったりと、
受け手がイメージしやすいよう伝える
のは、コピーライティングのコツだったよね。

思い出してくれました?