★コピーライターが思わず ! となったコピー。 -3ページ目

ふりんふりん物語

人生はとても短い、くだらないことで
ケンカしている場合じゃない。
life is very short and there's no time~
と、ビートルズは、「WE can work it out(恋を
抱きしめよう)」(1965年)で歌った。
 
23~25歳の若者が、人生がとても短いなんて
どんなに生き急いでいたんだと、あらためて驚く。
自分が同じ年のころは、すでに2点くらいは
先制されていたけれど、まだ前半だ、後半に決めて
やるという気概もなく、ちんたらとゆるいパスを
回してお茶をにごしてような気がする。
 
しかし、「人生は短い」なんて手あかにまみれた
フレーズも、普段は眠っている‘衝動の澱’を
起こすには十分すぎる表現だろう。
言ってみれば、時間の希少性でつつくやり方、
期間限定です、お早めに!と同じである。
 
手あかにまみれたといえばこんなのもある。
人間には2つのタイプがある。お尻を拭くときは、
利き手を使うタイプと利き手でない手を使うタイプだ。
というように、<世の中には2種類の人間がいる>
二元論もどきのフレーズである。
常套句とはいえ、種類の分け方によっては妙に説得力が
出てくるから言葉はあなどれない。
 
<人生は短い(あるいは長い)>も、
<人間(あるいは商品)は2種類しかない>も
コピーに使われているのは、今まで見たことないが、
使い方しだいでは、強力なメッセージになるよ。
 
しかしだな、いくらなんでもこれは飛躍しすぎではないか。
 
 
★今回のビックリマークなコピー。
 
 
LIFE IS SHORT,HAVE AN AFFAIR.
(人生は短い、不倫をしよう)

 
 
$★コピーライターが思わず ! となったコピー。-reuter01

不倫の出会い系サイト<Ashley Madison.com>の
ヘッドライン。(赤丸で囲っている部分)
あまりのあけすけな言い草に、吹き出しそうになる。
むかし見た裏ビデオのチラシに書かれていたコピー、
‘安上がり、性病の心配なし!’以来である。
 
飛躍しすぎとは言っても、人生の後半戦、
1-0でリードしていても追加点は欲しい。
特に0-2でリードされていれば、ここいらで逆転の
きっかけが欲しい。
 
ロスタイムもPK戦もない人生の場合、
残り時間が少なくなると、思い切って
リスクをとり、パワープレイをするかもしれない。
そんな動機づけをする強力な表現だ。
 
ドラマ『同窓会』を観た後、妙に心がざわついて、
急に昔のアルバムやアドレス帳が気になりだしたら
要注意だ。理性のタガなどたかがしれている。
 
人生は短いというフリはいいとして
問題は、だから不倫ですか。そこに行きますか
という点。しかしこればかしは、人間だものと
相田みつおの詩のような心境で接するしかない。
ただし、他人事に限っての話だが。
 
それで、この会員500万人(70%が男!)を抱える
不倫サイトを運営するオッサンだが、
不倫が結婚生活を長持ちさせると、独自の見解を
お持ちのようで、ビル・クリントンなど不倫スキャンダルを
起こした有名人(ただし、離婚していない)の例を挙げて、
ちゃんと結婚生活は続いているでしょうと得意げに
自説を主張している。
タイガーウッズは何を思う?
$★コピーライターが思わず ! となったコピー。-reuter04
 
$★コピーライターが思わず ! となったコピー。-reuter05
 
しかし、人の不幸につけ込んで金儲けしているという
ツッコミにはノーコメント。この偽善者め。
 $★コピーライターが思わず ! となったコピー。-reuter03
妙な理屈をこねずに、サイトのコピーのようにあけすけに、
自分の考えを主張すればいいものを。
おかげで儲けてますが何か?くらいは言ってほしい。
どちらにしても、仲良くなれないタイプである。
 
夫への愛情が薄れて入会した結婚10年のカレンさん、
不倫のおかげで、結婚生活は無傷、前よりも
うまくいってるとか。
$★コピーライターが思わず ! となったコピー。-reuter02
 
ただね。
不倫にとろけていようが、
とろけるプリンだろうが、
何かを得ようと思ったら、何かを失うことを
覚悟しなくてはいけない。
 
それはお金かもしれないし、、時間かもしれない。
信用かもしれないし、社会的地位かもしれない。
また、友人や家族かもしれない。
あるいは愛情かも。それとも命か。
問題は、失うものの価値が得るものと
イコールでないことだ。
 
でもカレンさんは、しあわせだとさ。
おおきなお世話でした!
$★コピーライターが思わず ! となったコピー。-reuter06
 
 
不倫ソング不朽の名曲といえば<Me And Mrs.Jones>。
’72年にビリー・ポールによって大ヒット。フィリーソウルの
クラシックでもある。だからスイートでメロウ。
ひげもじゃのビリーよりも、ここは微妙にイケメンだが、
歌は抜群にうまいマイケル・ブーブレ版を。
マイケル君が、ジョ~ンズ夫人と狂おしく切なげに歌います。



僕はマイケル君の歌の中では、これが好きだな。
弾むようなピースフルなメロディがよろしい。
しかし、このPVはどうだ。もてない童貞男の妄想じゃないか。
僕も中学から大学まで毎日似たような妄想をしていたわけだが。

初心は忘れた

うわっ、コピーライターという仕事に就いて、
もう24年も経っちゃったと気づく。
3月の下旬だった。卒業式の翌日が
初出勤の日だったと思う。
 
たしかその朝、卒業式のために上京してくれた
オカンを送り出した記憶がある。
「夜はこれを温めて食べて」と、オカンは
わざわざシチューだったか、ミートソースだったか
を作って帰っていった。少し心細くなる。
と初出勤の朝のことは、おぼろげだが
こうしておぼえている。
 
それなのに会社での初日は、いきなり何かのコピーを
書かされた以外はほとんどおぼえていない。
ワクワクしていなかったのだろうか。
そもそも、広告業界で働きたいと意識はそれほど
強くなく、コピーライターになるなど
考えたこともなかった。
(大学3年まで、電通や博報堂って何の会社?
という感じだった。業界をなめていますよね)
 
入った会社には営業職はないし、デザインも
できないので、それでは仕方がない。
コピーでもという方針でひろってもらったのだ。
 
よく迷ったり、心機一転するときに人は
「初心に帰る」というけれど、
自分の場合は、初心に帰るとダメ人生
まっしぐらになること間違いなしなので、
初心に帰らないこようにしている。
 
だから「初心に帰る」でなく
「初心は忘れる」がモットー。
Not BTTB(back to the basic).である。
 
どうりで初出勤の日をおぼえていないわけだ。
志低く、モチベーションもゆるかった新人時代。
危機感ゼロのぼんくら二等兵。
 
ところが、はたして初日だっかか、
二日目だったか覚えていないが、入社して
間もないころ、師匠となるコピーライターに
言われたこの一言だけは、
今でもよく覚えているのだな。
 
 
★今回のビックリマークとなったコピーひとこと
 
 
コピーは、足で書け
 
 
これまで、他にも大切なことを教えて
もらったのだが、忘れてしまっている。
唯一、おぼえているのがこの言葉。
 
意味は、商品についてよく調べて書けということ。
生産の現場に足を運んで開発にたずさわった人や、
実際に使った人に話を聞けということである。
 
師匠は、よくクルマのコピーを書いていたので、
工場や販売の現場に足を運んで取材していたという。
だから、足で書けという表現になったわけ。
 
聞いた当初は、まるで新聞記者の心がまえみたいと
思ったけれど、経験を積んだいまでも
大切なことだと思っている。

昔、アメリカの広告代理店レオバーネットは、
自社広告の中でこんなことを言ったという。
 
広告代理店の第一の仕事は、あなたの商品を
可能な限りあらゆる角度から見ることです。
正面、背後、側面から。あるいは逆さま、裏返しにして。

 
商品の中には、潜在的な購入者に訴えるドラマがあり、
それを見つけ出すことが重要だと言っている。
フォルクスワーゲンの広告で有名な広告代理店
DDB(ドイル・デーン・バーンバック)
の社長、
バーンバックも広告哲学について
一番最初に、売ろうとしている商品についていわなければ
ならない重要なことを発見すること
を挙げている。
仕事は丸投げ、右から左に流してピンハネ、なるべく
楽をしようとする業界人には、ぜひとも聞かせたい。
 
伝えるべきことを見つける。そのためには
商品をあらゆる角度から見ることが必要なわけで、
それは足を運んでネタをひろうしかない。
そのとき、ネタを聞き出す耳と、商品を使う人の眼、
それらからドラマをひっぱりだす想像力を
フル稼働させなくてはいけないのだ。
たとえば、CSI:科学捜査班のギル・グリッソム
主任のようにだ。
 
料理の世界で、<材料七分 腕三分>という
言葉がある。
簡単にいうと、おいしい料理をつくるには、
食材選びや仕込みが重要であり、
腕前は二の次だということ。
 
この言葉は、文章上達のコツにも
引用されることがある。
下調べ、準備は念入りにしないと
いくら表現力があっても、心動かす文章は
書けないよということだ。コピーも一緒。
 
ケツは青いうちにたたけ、メシは熱いうちに食え、
コピーは足で書け。あるいは耳で書くといってもいい。
 
最初の2つはどうでもいいが、最後のやつは
その本質において、広告以外の仕事でも、
またコミュニケーションでも通用すると思う。
 
よく聞く、よく見る、想像を働かす。
初心には帰らないけれど、これが立つべき所信だ。
とダジャレをかましたけれど、
24年前の自分に言いたかったわけ。

 
 
あの押井守監督も似たようなこと言ってます。
「大切なのは、相手の言い分に耳を傾けてから、
その上で自分の考えも伝えるべきだったのです。」

 
 
CSIシリーズといえば、THE WHOである。
主題歌Who are you?
僕の周りのロック好きには、なぜか
人気がいまいちだけど、サビはハモって
しまいます。カッコいいよな!



Who are you?は収録されていないが、
CSIマイアミの主題歌「無法の世界」と
ニューヨークの主題歌「ババ・オライリィ」
収録の英国ロックの名盤。
捨て曲なし、ドラマティックでダイナミック。
最強のライブバンドが作った最高のスタジオ盤
なんて言われていました。なんで日本で人気ないの?

フーズ・ネクスト+7/ザ・フー

¥1,680
Amazon.co.jp

コテンパンにされても強い古典

昔から落語が好きで、ときどきCDや
テレビで聴いている。
昔は桂枝雀さんや春風亭小朝さん、
いまは、柳家喬太郎さんがお気に入り。
 
昨年、高座に行って笑い死にしそうになった。
いま大人気の咄家ですよ。
それと、喬太郎さんの師匠の柳家さん喬
さんも聴きごたえがあっていい。
語り口が上品だから、とりわけ人情噺が
とても沁みるんです。
 
立川志の輔さんもいいですよ。
名前は知っていたけれど、意外に志の輔さんの
噺をあまり聴いたことがなかった。
ためしてがってん、ということで
先日、CDで聴いてみた。聴いた噺は
古典「しじみ売り」と新作「みどりの窓口」。
 
「みどりの窓口」はもう爆笑。人物造形の
デフォルメぶりが何ともおかしい。
でも沁みたのは「しじみ売り」。これは、
ぜひ生で聴きたいねーと思ったくらい素晴らしい。
余韻まで堪能できるみごとなサゲ(最後のオチ)。
 
はじめて聴いた噺だが、なんでも
巨星!5代目古今亭志ん生の
オハコだったらしい。
ところが志の輔版「しじみ売り」は、
志ん生版とは、いくつか違うところがあるとのこと。
サゲも違うし、登場人物の設定や年齢なども違う。
噺の内容も少し違う。
 
落語に詳しい方はご存じだと思うけれど、
噺家はよく噺を改変する。だから同じ噺でも、
噺家によって異なることはよくあるはなし。
改変の理由はいろいろあるだろうけれど、
よく言われるのが時代との相性。
 
古典を今の時代、これからの時代に生かし
続けていくためには、時代に即した改変が
必要であることを噺家は分かっている。
だから、聴き手が分かりづらいことは省いたり、
変えてみたり、創意工夫しながら古典に
新しい命を吹き込む。
 
とうぜん言葉も表現もストーリーも変わってくる。
でも、テーマだとか面白さは変わらない。
変わらないどころか、時代と添うことでますます輝く。
古典は新しい装いで次へと受け継がれていくのだ。
 
何一つ変えてはいけないという古典原理主義
のような考えも分かるけれど、大衆芸能はやはり
多くの人に聞いたり、見てもらうことが大切だ。
そう考えると改変することも必要であると思うし、
そこもまた落語を聴く楽しみだったりする。
音楽でいうならば、リマスター、リミックスという
感じでしょうか。
 
 
★今回のビックリマークなコピー。
 
 
いま、息をしている言葉で。
 
 
2年ほど前に「カラマーゾフ兄弟」がベストセラー
になったが、その版元である
光文社の古典新訳文庫のコピーから。
WEBサイトには、
古典は、手にしたときが新刊です。
というコピーもある。
コピーを考えることとちょっと似ている。
文法からすると正しくなくても、よく伝わるように
息をしている表現にするということはよくある。

そもそも古典とは何だろう?昔の、古い文学や音楽?
では、同じ古いものでも埋もれてしまったものが
ある一方で、今なお知られたり、親しまれているものが
あるのはのはなぜ。
どこが違うというのだろう。
そう問うてみると、古典と呼ばれるものが
たんに古いもの、時代遅れのものではないと分かる。
 
こう考えてはどうだろうね。
古典とは長い時間の中で、その時々の価値観や
批評・批判といった風雪に耐えてきながら、
なおも新しい価値や新しいファンも
生み出す力のあるものではないか。
 
そして、その影には古典の価値を見出し、
ひろく知らしめたり、新しい考察をくわえたりして
伝えてきた有名無名の人々もたくさんいた。
 
新訳もそう。「カラマーゾフ兄弟」の他にも、
村上春樹さんが手がけたレイモンド・チャンドラーや
トルーマン・カポーティの作品が話題になったことも
あったけれど、それをマーケティングの視点だけで
とらえるのは、いささか悲しい。
(たしかに最近、古典作品の新訳は増えつつあるような、
たしかに新装、リニューアルもマーケティングではある)
 
古典を古いもの、時代錯誤と片づけないで、
古きをたずねて、新しきを知る
という気持ちで触れてみると面白かったり
するんですけどね。
 
小説や音楽、落語も。
昔はピンとこなかったけれど、今見ると
面白いとか斬新だーなんて思うこともある。
(それに、古典ってネタの宝庫なんですよ)
50年近く生きているけれど、知らなかった、
挫折した古典もさまざまな分野で
まだまだあるわけで、
これはもったいないということで、
最近はなるべく古典に触れるようにしている。
 
それで、いま読み始めたのが「闇の奥」
(光文社古典新訳シリーズ版)。100年くらい前の
小説で、20世紀最大の問題作と帯にうたわれている。
あ、そうなんだ。知らなかった。
 
なぜ、読もうかと思ったのか。それは「闇の奥」が
映画「地獄の黙示録」の原案、いや翻案だから。
昔、チャンレンジしたのだが、その時は小難しそうだし、
文字組もびっしりで読みづらく挫折した。
その時と比べると、少し賢くもなったし、
読みやすい新訳になったようなので今読んでいるわけだ。
 
おもしろい?個人的には惹かれるけれど、
誰もが面白いと感じるものではではないよ。
映画のように、ヘリコプター部隊がワルキューレを
大音響で流しながら攻撃したり、戦場に
バニーガールが降ってきたり、
「やつらを石器時代にもどせ!」と言って
ベトナムの村を焼いたり、「朝嗅ぐナパームの
香りは最高だ」等としびれるセリフやシーンはあまりない。
 
だだ、なぜこの小説に多くの映画人や作家が
魅入ってきたのか。それも読む動機になっている。
そういえば映画「アバター」について、
「ダンス・ウイズ・ウルブス」を引き合いに出した
論評
をいくつか目にした。
 
心に潜む帝国主義であるとか、
文明人に潜む野蛮と、野蛮に内包された崇高や
純粋さの対立といった切り口で語られているのを読んで、
おや「闇の奥」のテーマと同じじゃないかと思いましたよ。
 
「闇の奥」や「地獄の黙示録」は引き合いに出されて
いないので、僕の視点がずれているかもしれないが。
こういう話は、僕が言っても薄っぺらい話になる。
ぜひ町山智浩さんに語ってほしいところだ。
(すでに語っているかもしれません)

無理やり「アバター」につなげたけれど、そういった
仮説を立てたり、今と昔の落差を面白がったり、
古典の中にある普遍的なことや、新しいものの
中にある古典の影響を見つけたりするのはけっこう
楽しいし、仕事や生きるヒントになることも
あるんじゃないかと思う。
 
これまで、いろいろな小説や音楽や映画が
古典(あるいはその本質)をその時の最新の
意匠や「いま息をしている言葉」などで
リメイク、リモデルされてきた。
斬新なものとして評価されたものも多い。
そうした歴史を考えると、古典は古いものと
あっさりスルーしまうのは、まことに
もったいないことだ。いや、ほんとうに。
 
 
 
柳家喬太郎さんの新作の定番「午後の保健室」
「夜の慣用句」とともに人気。短い話です。笑ってください。




志の輔らくごのごらく(3)「みどりの窓口」「しじみ売り」―「朝日名人会」ライヴシリーズ31/立川志の輔

¥2,310
Amazon.co.jp

  
 
「地獄の黙示録」のヘリコプター攻撃シーン
日本、北朝鮮、ベトナム、イラク、アフガニスタン、
アメリカは、野蛮(とアメリカが勝手に思ってるだけ?)
との戦争ばかり。そして相当痛い目にあっているな。
「地獄の黙示録 完全版」のコピーは、
戦争、アメリカ。
そして、アバターもハートロッカーも「戦争、アメリカ」でした。

 
 闇の奥 (光文社古典新訳文庫)/ジョゼフ コンラッド

¥620
Amazon.co.jp


コトバ強さ倍増計画

冬になると、近所の池にカモなど

渡り鳥が飛んでくる。
当然、見物客も増えるわけで、池のほとりには

おきまりの文句が書かれた立て札を周辺の

あちらこちらで見ることになる。
 
カモにエサをあげるのは禁止です
 

その下にやや小さな文字で、
「人間の食べるものには塩分や油分が多く、
野生の鳥が食べると病気になってしまいます」
というようなことが書かれている。
 

別に間違ってはいないが、本当にエサをあげるのを
止めさせたいなら、もうすこし表現にドライブが
あったほうがいい。たとえば、

 
カモが病気なってしまいます!エサをあげないで!
 

くらいは言ってやりたい。
そして、「人間の食べ物は~」と続けて理由を
述べれば納得もしよう。ついでに困った顔した
カモちゃんの絵でも描いておけばばっちりだ。
(それでもやめない人は、きっと池に
落としてもやめないと思う)

 
行動させたいなら、心を動かせという。
つまり感情を動かせ。すなわち
喜怒哀楽を起こさせるということ。

 
この場合、カモがかわいそう(哀)と思わせる
ことで行動を促す(エサあげをやめさせる)
というわけだ。

 
言いたいことはとりあえず伝えていますけど
の段階で終わるか、ぜひその気になって
くださいの段階までもっていくかは、
ちょっとした表現の差、ドライブのかけ方の
差といってもいい。
(表現にドライブなんて言い方は、
僕以外はしないと思います。表現を強調する、
強さを増幅させるという意味で使っています)
 
 
★今回のビックリマークなコピー。
 
 
「じっと座っているだけの部屋」
なんて、ありえません!

 
 
スウェーデン生まれのインテリアブランド
「イケア」の商品カタログ より。
何のことを言っているのでしょうか。

 
後にこんなボディコピーが続きます。
だからイケアは、実際の生活に対応できる
製品をつくっています。子供たちが汚れた手で
さわっても、友人がアームレストに乱暴に
腰掛けても、心配はいりません。キャビネットの
扉を勢いよく閉めても平気です。

 

なるほど、部屋の耐久性について

述べているわけです。
ボディコピーの次の段落では、
耐久性テストや品質保証といった、具体的な
取り組みが紹介されています。
 

別に、
すべての製品に耐久テスト、
10年間の品質保証付き。

というような事実を伝えるヘッドライン
でもいいでしょう。(素っ気ないけれど)

 
間違いではありません。しかし、そうした
特徴よりも、この場合はその特徴がある理由を、
「気づき」として示したほうが、商品の良さが
より強調され、欲望が刺激されます。

 
イケアのカタログでは、他にも
ドライブのかかったコピーをいくつか
見つけました。たとえば、


バターナイフが見つからない?
どんなに美しくても、
そんなキッチンは失格です。

 

キッチンの収納家具のコピーです。
小物も全部きちんと収納、
これで、キャビネットや
引き出しの中がすっきり。

の様なコピーでもいいでしょう。

 
でも、「バターナイフが見つからない」
なんて、よくありがちなことを言うだけで、
納得も増すのでは。

問題をクローズアップすることで、

その解決方法としての商品への
欲望は高まってくる…期待できます。

 
本やDVDを探しまわるのは
もう、うんざり?
なんでもすぐに見つかる
書棚にしませんか?

 

書棚やDVDラックのコピーです。
 これも同じタイプです。
「なんでもすぐに見つかる書棚」
といわれると欲望もむくむくと
わいてきます。
こんなコピーはどうでしょう。

 
新しい家具に買い替えなくても
いつでも気軽に模様替え

 

これも、
組み合わせ自由自在、
ユニットの配置換えで
お好みのレイアウトに。

というコピーでも意味は分かります。

 

でもメリットを強調した方が欲しくなります。
「新しい家具に買い替えなくても」と
「気軽に模様替え」がミソ。
節約志向でも賢い買い物をしたい人には、
効きの良いアピールになります。

 

いつでも主役はあなた。

あなたはこんな得をする、
そう言ってあげたいものです。
YOU & I.あなたあってのわたし。
これが友愛ってものです。ウソです。
 

さて、イケアの良さのひとつに
リーズナブルであることが挙げられます。
しかし、安いものはたいした品質ではない
という先入観は案外しつこいもの。
高価=高品質というのも然りです。
表現にドライブをかけるとは違いますが、
それを払しょくするのも大切です。

たとえば、このコピー。
 

高品質のナイフが、
かならずしも高価とは限りません。
 

もちろん、
切れ味長持ち、
モリブデンパナジウム鋼製
果物ナイフが699円。

でもOKです。

 

でも、100均ショップではもっと

安く買えます。そうであるなら、
この場合は高品質ですよとずばり
言った方がいいと思いますね。
安いでなく、この価格でこの価値が
提供できるイケアのプライドを
見せたいものです。

次のコピーも同じタイプです。

 
お子さまの安全は何より大切。
だからといって、高価な家具を選ぶ
必要はありません。

  

もちろん、そこに続くボディコピーでは
世界一厳しい安全基準に適合~と
その高品質ぶりをきちんと説明しています。

 
先入観、あるいは既成概念というのは
ガンコです。やっかいなのは、

真実を伝えるよりも、
消費者の中にある知覚。

これが商品選びや
購買時にハードルとなることがあります。
知覚を変えるのはかなり難しようです。
(それができれば、世の中はもっと
穏やかなはずですし)

 
だから、価格が相場や常識と比べて
高ければ、あるいは安ければ
納得のいく説明が必要になるわけです。
それをいうことで、商品とお客の間に立ちはだかる
偏見などのハードルを下げて安心してもらう、
それも低価格、高品質を標榜するならきとんと
言わなくてはいけません。

 
商品カタログのコピーを見ていると、
機能や特徴を素っ気なく表現している
ものが少なくありません。
手にとって見てもらえるという前提が
ありますからそうなるのでしょう。

 
CMのタグラインや印刷広告のヘッドラインは、
無視されるのを前提で考えますので、
つくる方も気合の入れ方がカタログの場合と
違います。(もちろん、予算も違いますから)
目立ってなんぼの世界です。

 
AIDMA(AISASでもいいですが)でいえば、
例外はありますが、CMや広告の場合、
おおむね認知段階のAttention(注意)から
Interest(興味、関心)にかけて
注力します。

 

しかしカタログの場合は
注力すべきは、感情段階のInterestから
Desire(欲求)がその中心領域となるでしょう。
とすれば、せっかくの機会を素っ気ない
出会いにするのはもったいないです。

 
見る人の気持ちをゆらしてあげましょう。
カタログを見て、ますます欲しくなった!
そう思わせたいものです。
(つまり、そこまで考えてはつくられて
いないケースの方が多いと感じているわけで)

 
せっかく、ペナルティエリアまでボールを運んだのです。
シュートを決めたい、ならばボールは最低ゴールの枠内に
飛ばしたいものです。コピーも一緒です。

 
日本代表(サッカーです)の決定力不足の解消は、
なかばあきらめムードですが、
「コトバ強さ倍増計画」で、決定力のある
商品カタログはなんとかなるのではないでしょうか。
そんなことを伝えたかったのでした。

 
あれれ、途中から文章がですます調になりましたが、
直すのが面倒なのでこのままにしておきます。
許してたもうれ。

彼女と私の不都合な事情

ありがちな話である。しかし、直に
当事者から聞くと、やはり感情が皮膚感覚で
伝わってくるから面白い。
(ツイッターで実況すると盛り上がったのかなー)
 

昨年、暑くもなく寒くもない頃だったか、
電車に乗っていたときのこと。
二人連れの女性が乗ってきて、座っている私の前に
立った。バッグの中に教科書らしきものが、
突っ込まれているようで、身なりや年齢の印象から
大学生、あるいは専門学校生とみた。

 
はじめは、他愛もないおしゃべりをしていたようだが、
やがて、一人が「いま、彼とうまくいってなくて…」
と話しだした。ぴくり。とたんに私の耳はダンボになる。
「えー、そうなんだー」ともう一人が応えると
彼女はとつとつと話しだした。

 
ちょうどいいタイミングで隣の席があいた。
そこに彼女たちが座った。うん、そういう話は腰を
落ち着けて聞きたい、ではなく話したいもの。
彼女が話はこういうことだ。

 
最近、彼女はカレとうまくいっていない。
理由は話さないので分からないが、彼を責めている
感じはなく、彼に大きな原因があるようではないようだ。
それに、次のような話にすぐ変わっていったからだ。
最近らしいが、彼女は元カレと再会した。
(ここで、聞き役の彼女も私もえー!と驚く)

 
彼女は東京暮らし、元カレは東京には住んで

いないが、郷里は彼女と一緒である。
その元カレが東京に出てくるという。同窓会のような
集まりがあるらしく、そこに出席するらしい。
そんな連絡が彼女にあった。

 
集まりの日、二人は再会した。
ほかの友だちとも会えて楽しかったようだ。
彼女は楽しいとは言わなかったけれども、声の調子が
楽しそうだもん。ところがその声のトーンにちょっと陰りが。

 
私は本を読みながら、盗み聞きしていたので
ページが全然進んでいない。
聞くことに集中するために寝たふりをきめこんだ。
さて、一次会、二次会と楽しい時間が過ぎて、やがて
お開きになる。夜も遅い時間のようだ。彼女は
元カレと二人きりになった。元カレは翌朝に帰るという。

 
そういうわけなので、24時間営業のファミレスなどで
時間をつぶすという。そして彼女にもうすこし付き合って
とおねがいをした。

 
核心に近づいてきたなーと思っていたら、私の降りる駅も
近づいてきた。はたしてその顛末を最後まで聞けるのだろうか。
と、続きは後半で。その前にお知らせをどうぞ。
 
 
★今回のビックリマークなコピー。
 
 
「やりたい。好き。愛してる。」
「好き。愛している。やりたい。」
この順番、あってる?
 
 
うん、おおむねあっている。
映画『男と女の不都合な真実』の広告より。
コピーだけだと分かりにくいと思うが、
主演男優(ジェラルド・バトラー)の写真に
「やりたい。好き。愛してる。」が、
主演女優(キャサリン・ハイグル)の写真に
「好き。愛している。やりたい。」が
添うようにデザインされている。
 

つまり、男と女の気持ちがそれぞれ

語られているわけだ。
もし、私が電車の彼女と元カレの再会の場に、
居合わせたなら、大丈夫?」とこの広告を
見せていただろう。

 

理性と本能、上半身と下半身、
天使と悪魔。毎日、たくさんの葛藤の中で
選択が求められる。彼女、元カレはどうだ。
話は戻る。彼女の話も佳境に入りかけて
いるのだが、私ももうすぐ下車せねばならない。
あせった私は言った。

 
「ご歓談中すみませんが、もうすこし話を急いで
もらえないでしょうか。実は先を急ぐのです。
このまま結末を知らずに終わってしまう
かもしれないのです」と。もちろん、心の中で。
電車は各駅停車だが、話のピッチは急行で
おねがいしますという感じ?

 
そんな私の気持ちを無視しながら、彼女は話を続ける。
ファミレスだか、居酒屋だかに元カレと入った。
そこで、元カレは「いまの彼女とうまくいっていない」
と思わぬことを言った。さらにまだ彼女に未練があるという。
このくだりを話している途中、彼女は声をつまらせた。
思い出してつまるくらいだから、

その時はかなりぐらついたことだろう。

 
さらに元カレは帰るまで一緒に一緒にいたいと言う。
娘さん、よく聞きなよ。「やりたい。好き。愛してる。」
たぶん男はキックオフ態勢だ。

 
二人は店を出てしまう。この頃になると、
彼女の声も小さくなって聞き取りにくくなってきた。
店を出た理由ややりとりが分からない。しかし、
とうとうクライマックスがやってきた。
どうやら、二人はラブホテルらしき
場所に入った。

 

この時、聞き役の彼女も「えー!」と
声を上げる。さぁそれからどうなったという時に、
間のびした車掌のアナウンスが駅名を告げる、
電車が私の降りる駅に着いてしまった。
ロスタイムなし。歴史は夜つくられるというのに。

 
もう少し先まで乗って結末を聞くかとも思ったが、
仕事の打ち合わせなので遅れるわけにはいかない。
仕方なく私はその駅で降りた。下車した後、振り返ると
彼女たちは話を続けていた。

 
その時、彼女たちが私の方に顔を向けて、
にっこり笑って言った。「続きはWEBで!」
…そうなったらどんなに良かったのにと妄想しながら
走り出した電車を見送った。
脳内に相川七瀬の歌「彼女と私の事情」が
流れてきた。(これはウソです)

 
結局、話の顛末は聞くことができなかった。
しかし、冒頭の彼女の発言からすれば、
今のカレとはうまくいっていないが、
別れたわけではない模様。
この夜のことが原因かもしれないし、
別の理由かもしれない。

 
また翌朝、元カレはスッキリして帰ったのか、
悶々としたまま帰ったのかもわからない。
確かなのは、彼女の悩みはいまだに
続いているということ。

 
カタルシスを逃し、スッキリしないまま
私は待ち合わせ場所に向かった。遅刻はしなかった。
しかし、一人が遅れてくるという。
おやおや、こんなところでロスタイム。
盗み聴きした罰か。神様はいじわるだ。

ハードル下げて、説得力上げるとか。

パソコンの画面を眺めていると、バナー広告が目に入る。
その画像の中に女、かわいいじゃないか。目が合う。

 
女がわらいかけていう。「こんにちは」
「こんにちは」思わずつられて応えてしまう。
「いま何しているの、お仕事?」

 
「そう。いまは休憩中」軽い嘘をつく。
「こんなにおそい時間に?大変ですね」
笑顔から心配そうな表情に変わる。

 
「いや夜だから平気」2つめの嘘とミエ。
「そっかー。でも、夜ずっとパソコンの画面を
見ていると目が疲れますよねー」

 
「たしかに。つい長時間見ちゃうから」
「そうそう、わたしも同じ。だから最近ケア
しているの。いい方法あるよ」

 
「どんなこと?」
「サプリ。ブルーベリーの。ブルーベリーって
目にいいのよ」
「ああ、聞いたことがある。アントシアニンだっけ?」

 
「すごい。よく知っていますねー。そのアントシアニンが
いっぱい入っているの。お仕事とかでけっこう

パソコン使います?」
「1日のほとんど画面を見ているかなぁ」
「わぁ大変。だったらこのサプリ飲んだほうがいいよ 」

 
「そう。考えておくよ」
「うん、いいよ。でも今申し込むと安いかも」
「いくら?」
「ひと袋3000円、これでだいたい一か月分くらい。
それが1980円。特典もついてきますよ」
「それはお得だ、特典もあるんだ」

 
「特別会員になれるの、会員になると毎日こうして
私とお話できるの。息抜きになりますよー」
「それはいいね、面白そう。目もケアできるし」
「そうでしょ。申し込んでみる?」
「うん、申しこむ」

 
「わぁ、ありがとう!うれしい!下のボタンを
押してね。今日はこれで終わりだけど、また明日
ログインしてね。お話しようよ」

 
…と、まぁそのうちこんなバーチャル広告とか
マーケティング・システムが普通にあるんだろうけれど、
こうなっちゃうと、池の中でカッパに
尻子玉を抜かれるように
ろうらくされるんだろうなと思う。
次のもまたバーチャルということで。
 
 
★今回のビックリマークなコピー。
 
 
お金の話を
してください。

 
■「料金は、1レッスン5000円から7000円台」
□「え?いきなり公開!」
■「隠すことは何もないからな」
□「何で料金に幅があるの?」
■「主に申し込むレッスン数によるものだ。
Gabaでは目的に合わせて、レッスンも全体プランも
カスタマイズ。そこで料金に幅が出る」
□「結構するんですね」
■「グループレッスンよりは高いだろう。
しかし、一人が話す量とクオリティ、上達速度を
考えれば、結果的におトクと断言する」
□「何でマンツーマン専門なんですか」
■「会社の会議を思い出してくれ。人が多いと、
どうなる?」
□「ダラダラする」
■「では、中高の英語の授業はどうだった?」
□「池田先生が美人だった」
■「授業の内容だ」
□「人前で間違って恥ずかしかったり、友達のヘンな
発音を聞かされたり…」

■「グループよりマンツーマンである理由が、分かるだろう」
□「でも、やっぱり高い買い物ですよね」
■「もちろん、だからさらに約束しよう。内容に納得できな
かった回のレッスンポイントは変換しよう」
□「ホントに?」
■「ホントだ。あたり前の話だからな。詳しくは
無料体験レッスンを受けるといい。他のスクールと
比べてもいい。Gabaには料金以上の価値があることが、わかるはずだ」
□「ところで、あなたは?」
■「Mr.話を聞く人。このよく動く耳に、なんでも話してくれ」
□「うわぁ!ウネウネしてる」
 
 
英会話スクールGabaの車内広告より。昨年の春あたりから
よく見かける。シリーズ展開のようで、テーマごとに
コピーも異なる。今回のは、「お金の話をしてください」
ということで、テーマは受講料について。

 
Gabaの広告は、前からしっかりコピーで伝えようとする
内容のものが多く、コピーの文字量も多いので、コピーや
文章について学ぶべきことがいろいろとあった。

 
今回の広告は、電車内というわりとじっくり見てもらえる
環境なので、文字量が多いのも不利にならない。
Gabaは、マンツーマン専門のスクールということで、
以前よりマンツーマンの価値をさまざまなテーマや表現で
伝えてきており、一貫した姿勢で継続していることは、
見た人にGabaの良さを知覚させる上ではよいやり方だ。

 
消費者の頭の中にGabaの特徴が知覚されていない段階で、
あれもこれも言うと、情報の受け手は混乱して
かえって特徴が知覚されにくい。

 
紹介したシリーズのコピー、Gabaと見込み客の
やりとりを表したもので、いわばバーチャル問答という
感じでしょうか。

 

見込み客の知りたいことを想定してそれに

答えるというアプローチを、問答というかたちで

やると、見込み客主体のようなスタイルになるので、

一方的な説明より納得しやすい。
(悪徳業者の中には、こういう想定問答をマニュアル化
していますな)
 

こうしたアプローチの特長はというと、
お客の立場から見て、不安に思うこと、誤解しそうな
ことなど障害のハードルを先回りして下げること。

一種のリスクヘッジ。

 
そしてたしかに良い商品だという印象をもってもらうこと。
上のコピーでは、見込み客は受講料が高いのでは?
という不安を受け止めて、その理由と価値を話すことで
障害のハードルを下げてもらおうとしている。

 

賢い消費者は、ネットなどで口コミから調べるだろう。

広告のミッションは、マンツーマンの価値は、価格以上

だということを知ってもらう。そこまで。

ここではすぐのコンバージョン(購入や予約など) は

目的ではないはず。

 
商品の良さを理解してもらうことが
目的の場合、説得術としてのコピーになる。
(通販広告の場合は、さらに説得と販売技術の
コピーが求められる)

 
広告にもいろいろと目的があって、それに応じて
表現も考えなければならないのだが、わりと
できていないことが多く、広告や宣伝ツールが
機能していない場合、大きな原因になっていることが
あるのではないかと思っているんだが。

(広告は効かない、ではなく、効かない広告を

作ってきたのでは?)

 
説得型のコピーでは、商品によっては情報量が
多くなる場合がある。

コピーが多い方が有利というケースがいくつかあって、

たとえばその商品が、これまでなかった画期的な

ものである場合とか、しくみや機能が複雑であるとか、

 

健康とか成功につながるものとか、高価であるとかなど、
きちんと説明しないと理解、納得されない商品は
長くても読んでもらえることが多いとされている。

(原則的にではあるが)

 
それで、よい商品だと理解してもらいたいが、
Gabaのように広告にお金をかけられない場合でも、
アプローチそのものは応用できる。

 
ネットのテキスト広告で、クリックした先の
ランディングページで説得型コピーでアプローチ

するとか、商品カタログと一緒に別の宣伝ツール

(疑問に答えます!など)として渡すとか、

応用方法は、考えればいろいろあるんじゃないか。

マシュマロ、メロン、スイカ、ロケットまでも。

小向美奈子がスライム乳で、細川ふみえがマシュマロ乳。
ほう。いつの間にやら、ボイン市場は大きさでなく個性を
競い合っているのか。
(自分で書いておいてなんだけど、ボイン市場って
なんだよ。しかもボインって今つかわないし)
 

まぁ、そんな市場があるとしてだ、市場が成長
段階であれば、FカップよりGカップ、Gカップより
Hカップ…という按配でカップの
大きさが競われることになる。

 
しかし、大きさ競争が一段落すれば、そこに新しい
訴求ポイントが必要になってくる。
それが、ロケットとかスライムとかマシュマロとか
メロンやスイカ、マンゴーといった形状や特徴である。

(すべて乳という言葉とコラボされている)

 
大きいのは当たり前、次は差別化、そしてポジショニングだ。
(よけいなことだけど、昔は静物画において
フルーツというのは、肉体的快楽の象徴として
描かれたということを何かで読んだな、
人類ってスケベよね)

 
そして、ボイン市場における新たな競争が
始まるのだ。(本当かな~)
市場サイクルの変化によって、商品の訴求
ポイントも変わっていかねばならない。
それは携帯電話もボインも同じ。
エコが当たり前の市場に、エコですよと
強調してもそれはほとんど差別化にならない。
どれだけエコか、どんなエコかを
言わねばならない。

 
それにしても、スライム乳とかマシュマロ乳とか
スイカップとか、ネーミングした人って
いいセンスしているよなー。
それで、次の表現もいいと思うんだ。
 
 
★今回のビックリマークなコピー。
 
 
大切なモノを液もれの不安からまもりたい。いわば、親ごころ電池。
ボルテージに、かえておこう。
 
 
マクセルの乾電池ボルテージの広告より。
こちらのギャラリー では別バージョンやCMも。
広告はというと、オモチャ(電動?)をもった

子どもの写真に
 
リモコン、懐中電灯、
目覚まし時計、
おもちゃ…
電池で動く機器は、
キミの手が届くモノ
ばかりだね。

 
というヘッドコピーが書かれている。
その下の、いわば結びのコピーが
上の表現である。

 
事実の認識(商品がないことによる
不安や不便を感じさせる)から、
解決策としての商品の紹介という流れ。

 
それで、個人的には、「親ごころ電池」という表現に
目がいった。この広告の訴求相手は
子どもではなく、その親でしょう。
だから、「親ごころ電池」という、親であれば
気になる、心動かされる表現が効果的だと思う。
 

商品の特長やコンセプトを、この表現のように
いわば~とか要するに~とか分かりやすい言葉で
置き換えると、メッセージにドライブがかかって
強くなる。

 

この場合、たんに言い換えただけでなく、
訴求対象が親だけに、「親ごころ」と表現したところが
とてもクレバーだと思った。

このセンテンスがあるとないとでは、メッセージの

力が違うでしょ?

それはもうスライム乳よりもお見事。
 

話はヨコにずれるけれど、このメッセージは「誰に」言うかが
きちんと決められた上での表現。たとえば高齢者であれば
また違った言い方になる。

 

誰にどう伝えるか、誰に必要としてもらいたいかを考えるのは

大事なことで、広告主が考える場合もあるし、ディレクターや

コピーライターが考える場合もある。
たとえばゲーム機(ゲームソフトでもいいが)。
子どもにはゲームとして、大人には脳トレーニングなど
学習方法として、高齢者にはボケ予防とかリハビリ
といった健康促進方法として訴求するなど、対象によって
違った価値を見つけたり、作ったりしてアプローチ
することで、新しい客層をつかむことが期待できるわけだ。
 

初手からボインの話で、どうなることかと思ったけれど
まじめな話で締めることができてよかった。よかった。
今回も、はなまるっ!合格

暮らしに役立つ需要をどうぞ。


需要を創造します。
 
と、新聞見開き2面(しかもカラー)にで~んと
広告が載った。秋ごろの話。
長ーいカゴにクルマ、電気製品、食品、
化粧品など商品が詰め込まれているビジュアル。
 
なんのこっちゃい?とよく見たら、宝島社の女性誌の
広告だ。女性誌といっても最新号の案内ではなく、
いかに部数が伸びているかが前年比163%UPと
いう感じで強調されている。その傍らにある
 
売れている女性誌は、読者の購買意欲を刺激する。
それが女性誌の力。

 
とサブのヘッドラインを読んで納得。
 
ああ、なるほど。広告媒体として訴求しているのだ。
日本経済新聞に「SWEET」や「Spring」の広告というのは
珍しいなと思ったのだが、これならわかる。
それでも媒体に媒体の広告って珍しいんじゃない。
 
読者にではなく、日経を読んでいる企業の経営者や
マーケティングの担当者へ訴求したいのだ。
うまいことを考えたものだ。
 
雑誌は不振、雑誌は終わったとひとくくりに
言われることが多いけれど、そうじゃない
ケースもあるということだ。
 
そういえばこの雑誌も異色かもしれない。
ゆるがない信念というのかなぁ。
部数や台所事情まではうかがい知ることが
できないけれど、広告にたよらず、
コンテンツで勝負します
という心意気で長い間続いてきた、
そのあり様はすばらしいと思います。
 
今のような物事のサイクルの変わり目、
自分や社会を見つめなおすことが
必要になっているこの時期には、
ぴったりだと思うのですけどね。
 
 
★今回のビックリマークなコピー?
 
 
これは あなたの手帖です
いろいろのことが ここには書きつけてある
この中の どれか 一つ二つは
すぐ今日 あなたの暮らしに役立ち
せめて どれか もう一つ二つは
すぐには役に立たないように見えても
やがて こころの底ふかく沈んで
いつか あなたの暮らし方を変えてしまう
そんなふうな
これは あなたの暮らしの手帖です

 
 
雑誌「暮らしの手帖」の理念なのでしょう。
毎号、おもて表紙をめくったすぐ次のページに
書かれている。
数年前、この文章いいよねと知り合いが
教えてくれたのがはじめての出会い。
 
ただ雑誌の名前は知っていたけれど、
自分には縁がなさそうだし、そのことで
特に興味が湧くこともなかったので
しばらく忘れていた。
でも、なぜか最近「あれ、いい文章だったな」
と急に思い出したわけ。
 
「暮らしの手帖」について、いくつか知った
ことはというと、
まず広告(自社商品をのぞく)がないこと。
つまり広告収入にたよった雑誌ではない。
 
それと、戦争というものが大きく影響していること。
「暮らしの手帖」は大橋鎭子さんと花森安治さんによって、
昭和23年誕生した。(その時は「美しい暮らしの手帖」)
 
大橋さんは戦争中、防空壕のなかで、自分が見たい、知りたいと
思うことを本にすれば、戦争で学校も満足に行けなかった
多くの女性たちに喜んでもらえるだろうと考えていたという。
また、花森さんは、戦争への反省から、一人ひとりが自分の暮らしを
大切にすることを通じて、戦争のない平和な世の中に
したいと考えていた。
(「暮らしの手帖社」WEBサイトより
 
ライターの永江朗さんが「暮らしの手帖」について
書いている。その中でとても印象的だったのが
この一節

『暮しの手帖』は戦争への反省から生れたといってもいい。
日本人があの愚かで悲惨な戦争にのめり込んだのは、
一人ひとりの生活を大事にしなかったからだ。
具体的な日々の生活よりも、抽象的な「八紘一宇」
だのなんだのという言葉を重んじた帰結だった。
 
これを読んで思ったのは、昨今世の中で起きている
悲しいことや、やりきれない問題の原因も、案外と
一人ひとりの生活を大事にしなかったからではないか。
それが大きいのでないかということ。
 
おそらく自分の中でも、それと似たようなことを
感じていたのだろう。しばらく忘れていた上の文章を
急に思い出したのもそれと関係あるんじゃないか
と思った次第だ。
 
ところで、気づいただろうか。
上の文章には句読点がない。
句読点なしには考えられない広告のコピーばかり
接している者から言えば、不安定というか
落ち着かなさのようなものを感じるものの、
文章の並びや長さによい佇まいもあり、
新鮮であるしひらがなと漢字の配分がよく、
きれいに見える。詩のような感じ。
 
そして、何よりメッセージがいい。
主役が「あなた」であること。
これはコピーを
考える際の大切なことのひとつ。
「わたしがどうこう」ではなく、
「あなたにとってどうこう」。
そう言わないと動くものも動かない。
 
また、広告や雑誌の見出しによく見られる、
腹をすかしたドーベルマンのようにガツガツ
した感じとは反対のつつましい
文体ではあるが、強い信念を感じさせてくれる
表現もよい。
ガツンとではなく、すーっと伝えるから
抵抗なく入ってくる。
 
「これは あなたの手帖です」ではじまり、
「暮らしに役立ち」「暮らしを変える」という
価値を伝えて
「これは あなたの暮らしの手帖です」でしめる。
平易な言葉、わかりやすさ。でもしっかり伝わり、
興味をもってしまう。簡単に書けそう?
いや、そうはいかないと思う。
みごとな文章、そう思いません?


 
 
僕が買った号に載っていた「煎り酒」という
調味料。しょう油が庶民に普及するまで
使われていた江戸時代の代表的な調味料。
日本酒と梅干とかつおぶしで作るから、
梅干しの酸味とほのかな塩気、そしてお酒のコクに
かつおぶしの香りがふわ~っと。
淡白な食材に合うし、隠し味にもよろしいかと。
ためしたくなりました。
 
たしかにすぐに役立つものではないが、
はじめての味わいに出会えるわけだ。
食べることが楽しくなりそうな予感。
うん、たしかに暮らしを大切にしたくなる。
 
需要を創造することも、
暮らしを大切にすることも大事。
そのへんは広告のコピーにも
通じるような気がするのだな。

いまどき、賢者になるのは大変だ。

「今日、フィンランドから本物のサンタさんが来るのよ!」
と、その朝看護婦さんはうれしそうに言った。
 
入院で心がささくれはじめた僕は、普段であれば
ぴくりともしない話に、意外というくらいにときめいた。
入院が長引くと、身体は回復しても(しなかったらよけいに)
気持ちが後ろ向きというか、すさんだりするのである。
 
そんな状態の時だから、本物のサンタに会えることに
心が躍ったのである。
クリスマスに入院したかいがあったものだ。
 
とりあえず気をつかいましたよという程度の
ケーキとローストチキン付きの夕ごはんを
さっさとすましてサンタさんのお見舞いを
わくわくしながら待っていた。
 
食事とトイレと診療時以外は、
うつぶせに寝ておかなければならなかった
のだが、サンタが待ち遠しく
何度か廊下に出て偵察もした。サンタ、ウエルカム。
 
やがて消灯時間が近づき、検温のために
看護婦さんが入ってきたので尋ねた。
「サンタ、来ました?」
「来たよ。でも、さっき帰ったよ。」
「えー、こっちにこなかったよ」
「来ないわよ。だって小児病棟だけだもん」
「え、そうなの」
「あたり前じゃない。わたしは見たよ。大きくてね、
ニコニコして…見たかった?」
 
うん、見たかった。メリークリスマス、
元気になってくださいデス!と言われたかった。
キャンデーでもいい、クマちゃんでもいい。
大きな袋からプレゼントを出してほしかった。
それだけでしんどい入院生活を乗り切られるのに。
 
小児病棟は同じ階だ。角を曲がらず、
ちょっと通路をこえれば、自分のいる病室なのに。
幼稚園はカソリック、高校はプロテスタントという
キリスト教をなめたような学歴が気に障ったのだろうか。
 
大人は分かっていない。大のオトナでも
ひとたびディズニーランドに行けば、ミッキーや
ドナルドが着ぐるみと分かっていても
子どものように気持ちが高ぶることを。
大人だってサンタさんに会いたかったのだ。
それだけ弱っていたのだよ。
 
ひと昔前の話である。
なんてこったい。こんなくだらない話をする
つもりではなかった。クリスマスだ。贈り物のような
話がしたかったのにー。
 
 
★今回のビックリマークコピー言葉
 
 
ジム、わたしの髪は伸びるのがとっても速いの
 
 
貧乏な若い夫婦がいた。妻デラは夫ジムへ
クリスマスプレゼントを買いたかったがお金がない。
仕方がないので、美しい長い髪をバッサリ切って
それを売ったお金で懐中時計のチェーンを買った。
一方、ジムは大切な懐中時計を売ったお金で、
デラのために長い髪にあうひと揃えのクシを買った。
 
上の言葉は、ジムからの贈り物であるクシを
飾る長い髪がなくなったデラの姿をみて
呆然としているジムにデラがいったもの。
 
O・ヘンリーの「賢者の贈り物」という小説である。
互いの大切なものを犠牲にしてしまったことを
愚かと思うか、賢者と思うかそれは読んだ人それぞれ。
その人の人間性が試されるよな。
(髪は伸びるけど、また時計を買うのは大変だなんて
突っ込みはしちゃいけない)
 
 
プレゼント次は実話(らしい)。
商売が破たんした上に不景気。その年のクリスマスのこと。
その一家にはツリーはあったが、その下にプレゼントはなかった。
イブの晩、家族はみな落ち込んだ気分でベッドに入った。
ところがクリスマスの朝、ツリーの下にはプレゼントが山積みに!
 
みんなドキドキしながら、プレゼントの包みを開けると、
母親が失くしたショール、父の壊れた古いオノ、どこかに
忘れてきたと思った帽子などが次々出てきた。
どれも古い捨てられてもの、失くしたものばかり。
 
思いもよらない贈り物に、家族はゲラゲラわらうばかり。
でも誰が?それはその家の男の子の仕業。
何ヶ月もの間、無くなっても騒がれそうにもないものを
こつこつ隠していたのだ。そしてイブの晩、みんなが寝た後、
こっそりそれらを包んで、ツリーの下に置いたのだ。
最悪なクリスマスが最良のクリスマスになったというわけ。

これも賢者の贈り物かもしれない。
  
 
プレゼント次も実話(らしい)。
クリスマス前の水曜日のこと。教会で聖歌隊の練習を終えた僕は
帰り際に不審な車が入ってきたのを目にする。その車はあわてて
走り去った。気になった僕は帰るふりをしてあたりを一周して
再び教会に戻ると、さっき走り去った車が停まっている。
明りを消したはずの教会に明りがついていた。誰かが侵入している。
 
夜も遅い。僕は恐る恐る教会に入って行った。
すると祭壇の傍らに男女がいるのが目に入った。
僕はその男女を知っていた。夫婦である。
しかも二人は教区のメンバーだ。
 
その夫婦はもってきた巨大な袋からたくさんの新品の
おもちゃを取り出し、チビッコおもちゃプログラムの
クリスマスツリーの根元に積み上げていた。
 
女性は僕にお願いをした。「誰にも言わないで」
僕はだまってうなづくとその場を後にした。
僕は知っていた。彼らに一度も子どもがいたことが
ないことを。そして不妊症であることを。
家に帰りながら、僕は身体を震わせ泣き続けた。

この夫婦もまた賢者と言ってもいい。
 
2番目と3番目の話は、「ナショナルストーリープロジェクト」より。
作家ポール・オイスターが募った普通の人々の話。
以前、作家の小川洋子さんが紹介していたので読んでみたのだ。
市井に暮らす人たちの話である。泣ける話もある。
悲しくなる話もある。笑える話もある。
 
無理やり感動させようと泣ける話ばかりを集めたものには、
興ざめしてしまうが、この「ナショナル~」や今年出た
藤原新也さんの「コスモスの影にはいつも誰かが隠れている」
のように普通の人々の物語(話は必ずしも普通ではないが)を
読むと、人間へのいとおしさのようなものがこみ上げてくる。
 
余談だけど「コスモスの影に~」の中で、自殺しようと熱海に来た
若い男女が、幼子を抱いた女性と出会う話は読んだ後に
しばらく固まってしまい、そのあと感情が決壊しそうになった。
 
クリスマスには何の思い入れもない。いまさら
食べたり、騒いだり、セックスするための
販促イベントになったことに目くじらを
立てる気にもならない。ローマ法王ではないわけだし。
それでも、いろんな賢者の贈り物のような話が、
生まれるきっかけになっているのなら、楽しむのも
悪くない。
 
ところで、僕はまだ本物のサンタさんに会いたいだろうか。
今のところ、その気はない。いまのところシャバの空気を
吸っているし、それに今日、近所のパチンコ屋の前を通ったら、
店員だと思うが、サンタの格好をした(でもミニスカ)
かわいいお嬢さんを見ることができた。これで十分。
 
 
最後の贈り物は
Earth:The Story So Far/Prefab Sprout
クリスマスソングではないが、どうやらイエスの
誕生と救いについてうたっているようだ。
 
個人的には、そんなことよりもパディ・マクアルーン
(英国の至宝!)の久しぶりの新曲(厳密には違うけど)を聴けただけで
それだけでうれしい。レノン‐マッカートニー、バカラック、
ブライアン・ウィルソン、A・C・ジョビンのように有名でなけれど、
同じくらい素晴らしいソングライター。どうしてこんなに琴線に
触れるメロディを生みだすのだろう。プラネットアースのスぺクタルな
映像とロマンティックなメロディをどうぞ。




賢者の贈り物(O・ヘンリー)全部読めます。(無料)

ナショナル・ストーリー・プロジェクト〈1〉 (新潮文庫)/著者不明

¥620
Amazon.co.jp



レッツ・チェンジ・ザ・ワールド・ウィズ・ミュージック/プリファブ・スプラウト

¥2,520
Amazon.co.jp

コスモスの影にはいつも誰かが隠れている/藤原 新也

¥1,680
Amazon.co.jp

負けたら、政権後退。

 
責任力とか、党首力とかいいかげんな

日本語が政界から広まるのは問題だ。
おそらくコピーライターにまかせっきり

だからこうなるのだと思う。
(日本経済新聞8/19朝刊より抜粋)
 
と、政治ジャーナリストの田勢康弘さんが自民党の
「責任力」や民主党の「政権交代。」の「。」について、
その耳なれない言葉づかいや「モーニング娘。」と
同じような発想は何なのか、人目に留まれば
それでいいのかと述べていた。
 
田勢さんは、出演されたテレビ番組でも
「責任力」について、広告代理店が作った
ような…と仰っていたので、よほど気に
なっていたんだと思う。(そして、うんざり
していたのでしょう)
 
表現についての好き嫌いはともかく、
なんだか言葉が似合っていない、本当に
自分の言葉なの?誰かに作ってもらったん
じゃないのと見透かされるようなありようが
引っかかったのだと思う。
 
インパクトがあって、分かりやすいのを頼むよ。
なんて、ざっくりした依頼のもとに、
作りました。そう思わせるところがあるようにも
思えるが、そのいいかげんな日本語を生んだ
原因としてコピーライターが
やり玉にあげられ、いいかげんな職業のように
思われるのは悲しいものだ。
 
話題になったオバマ大統領のスピーチライター、
ジョン・ファブロウは、あんなにも
絶賛されているというのにだよ。
 
オレもダジャレを言っている場合ではないよな、
とコピーライターの地位向上に貢献しないとな
と思っていたら、こんなコピーを目にした。おやおや。
 
 
★今回のビックリマークなコピー。
 
 
増えすぎた
カラーボックスには、
辞任を要求したいと
思います。
 
収納問題、かたづけよう。

 
 
スウェーデンのインテリアブランド、
イケアの広告より。
今の時期、与党から野党までネット広告を
展開しており、ニュースサイトなどを眺めていると、
視界に各政党のディスプレイ広告が入ってくる。
 
曰く、
日本を考える夏にしてください。
とか。
 
それはそのまま候補者のみなさんに
お返しします言いたくなるような
メッセージが毎日のようにあらわれる。
 
そうした状況のなか、どさくさに紛れるように
PCの画面に表れたのが、上のイケアの広告である。
これにはもうひと種類あるようで、それがこれ。
 
わが家のマニフェスト。
1日も早い収納問題の解決を
目指します!
 
収納問題、かたづけよう。

 
イベントや世間の関心が高い物事、
流行語に便乗したメッセージというのは、
賞味期間が短いながらも、たんに注目して
もらうということであれば効果的である。
 
ただ、あまり知られていない商品や
ブランドが使うのは分かるが、
イケアほどのブランドが何もそこまで
という気はしないこともなく、
小さく表記されていた「PLICE DOWN 
新価格になりました」という部分と
ロゴマークを大きくするだけでも
クリックされそうな気もする。
でも、何か一言言わずには
おれなかったのだろうな。
 
ところで、「日本を守る、責任力。」と
生活を守りぬく。」と与党勢の
選挙スローガンは、
どちらも「守る」を使っている。
実際、今回は守りたいのは議席数
では?と言いたくなるような選挙戦のようで、
それに合わせたかのよいうに
超守備的な戦略が見える。
 
もともと守備については2つの党は、票田や
支援団体のおかげで堅牢だったはず。
前回はそれに加えて、高い攻撃陣もあってか
大勝したわけだが、今回は決定力不足だし、
自慢の守備陣もあやしく、守って守って
逃げきらざるを得ないような戦いぶり。
 
一方、民主党は「まず、政権交代。」と
くわしい話は後、とりあえずビールという
まるで飲みに誘うかのような言いようで攻めまくる。
とりあえず政権交代、何が何でも政権交代、
と「ロンドン、ロンドン、楽しいロンドン、
愉快なロンドン」と昔よくオンエアされていた
キャバレーロンドンのCMのように
リフレインを叫ぶことで、政権を交代する
ことに意識を向けさせようとしている。
 

でも、戦い方は理にかなっている。
高邁なことを言うよりも効果的だと思う。
負けちゃったら、政権交代が政権後退に
なるけど。
 
とにかく交代しないと何も変わらないと
刷り込みをしたいのだ。
民主党は3点取られても4点取って
勝つぞという超攻撃的な戦い方。
前のめりできています。
 
それを考えると、与党も「守る」なんて言わずに、
「いま変えても知らないよ、株価もGDPも
上向きなのに」と変化することの不安を
ぐいぐい突いて有権者の心理をぐらつかせたり、
焦点をしぼって「こんなに負担が増えるよ」と
訴えた方がまだましだと思う。
 
前のめりといえば、共産党もやや前のめりで、
以前の「確かな野党」という、とても似合っている
素敵なスローガンは、今回使っていないようで、
いまこそ、日本共産党」と「いまこそ」という
just do itなフレーズが攻撃を感じさせる。
 

たぶん「確かな野党」のままだと、
「確かに野党」と無冠のチャンピオンの
ように揶揄されるのを恐れたのかもしれない。
個人的には、ストップ・ザ・蟹工船!くらい
言って欲しかったっす。
 
ちなみに政権交代という言葉、
「政権交代、広島死闘編」とか「政権交代、代理戦争」
「政権交代、頂上決戦」「政権交代、組長最後の日」とか
映画「仁義なき戦い」シリーズのタイトルをもじると、
しっくりくることに気づく。どうでもいい話です。すみません。
 
こんな風に、言葉をいじくったり、ダジャレばっかり
考えているから、コピーライターにまかせると、
いいかげんな日本語が…なんて言われるのだろう。
 
そうではない。おまえがそんなくだらないことを
書くから、いい加減な職業と思われるのだと
同業者の方から突っ込まれそうな気もしてきた。
 
久しぶりに更新したかと思ったら、

引っ張るだけ引っ張って、そんな

くだらない話かよ。時間を返せ

と怒られそうなので、
ここらへんでおいとますることにします。
 
では、ごめんなすって。